みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,028

「世界のガーデン」 第三章:9ヶ所のペルシャ式庭園⑥

第10回:東西2つの「シャーザデー庭園」!

世界遺産に指定されたイランの9庭園。今回は南部にある「シャーザデー庭園」を取り上げます。ただ、この庭園も日本にはなじみの薄い物で、資料入手が極めて困難。ただ、ありがたい事に前項同様「Pars Today」が詳しく報じています。従って、その殆どに情報を右の<Pars  Today 記事>(詳細は左をクリック)に頼りました。

「シャーザデー庭園」はイラン南部に位置するケルマーン州のマーハーンと言う都市の郊外にあります。ケルマーン州は大半を砂漠で占められています。ただ、「シャーザデー庭園」はティグラーン山脈(イラン南東部)の裾野にあり、超乾燥エリアですが標高が2,000mを越しています。従って、自然環境に恵まれているうえ、豊富な水が使える・一定の傾斜を活用できるなど、立地的にも優れた庭園と言う事が出来ます。加えて、精緻な構成も庭園の素晴らしさをより引き立てています。だからでしょうか?<イランで最も美しい庭園>とも評されています。

作庭時期は、「ガージャール朝」(1,796〜1,925年)末期で、9ヶ所の世界遺産庭園の中では比較的新しい部類となります。従って、典型的「ペルシャ式庭園」と言うよりは、それを基にして独自のアレンジを加えた独創的庭園と表現した方が良いでしょう。しかも、複数の為政者により手が加えられ、完成したのは1,930年頃。実際には、長い歳月と膨大な資金がつぎ込まれた珠玉の建造物であったと言う次第。

「シャーザデー庭園」」最大の特色は東西に2分されていると言う点。当然のことながら、西の庭園と東の庭園とでは、様相が大きく異なります。加えて、総面積5.5ヘクタール(奥行407m×幅122m)と広大な敷地を持ち、その中に王が滞在する建造物・大衆浴場などもあり、庭園自体にも贅が尽くされたものとなっています。傾斜を有効活用するのは、イラン庭園の基本技法との事ですが、主にイタリアで造られた「露壇式庭園」との共通性を感じ取ることも出来ます。

庭園入口の建物は2階建てで、それを通り過ぎると長辺200m程の池があります。しかもその池は階段状になっており、5つの噴水も設置されています。その美しさは言うまでもありませんが、「ペルシャ文明」以来の高い灌漑技術があったからこそ、このような庭園を建造することが出来たと言えるでしょう。

また、多くの「ペルシャ式庭園」がそうであるように、「シャーザデー庭園」も塀で囲まれており、周囲と明確に区分されています(このように、塀・建物で区切られた庭園様式を「サラセン式」とも呼ぶ)。つまり、周辺の砂漠と明確に分けられた夢空間となっているわけで、この点もまた他地域では味わうことが出来ない特有の魅力と言えるでしょう。

砂漠

 

 

 

 

 

 

ケルマーン州・・・同州は大部分が砂漠地帯。

ヤフチャール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケルマーン州で良く見られる灌漑設備ヤフチャール。

洲地図

 

 

 

 

 

 

 

 

イラン南部に位置するケルマーン州

庭園①

 

 

 

 

 

 

 

庭園遠景

庭園②

 

 

 

 

 

 

階段式水路&噴水

庭園③

 

 

 

 

 

 

豊富な水を供給する灌漑システム

庭園④

 

 

 

 

 

 

巨大な池・・・まさに人工のオアシス

 

 

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,027

「世界のガーデン」 第三章:9ヶ所のペルシャ式庭園⑤

第9回:「アッバース・アーバード庭園」

世界遺産に指定された9ヶ所の「ペルシャ式庭園」を紹介中。この項では、イラン北部にある「アッバース・アーバード庭園」を取り上げます。ただし、16世紀〜17世紀初頭にアフガン族との抗争で破壊され、現状では半遺跡と言った形となっている為、極めて資料が乏しい状態。そこで、当コーナーでは<「Pas Todeyのアッバース庭園紹介ページ」(左をクリック)>から大半の情報を得ました。

「アッバース・アーバード庭園」はイラン北部のマーザンダラーン州にあり、カスピ海に面した丘陵地帯に位置します。同州自体がイランのイメージと異なり、緑に囲まれ多数エリアを持っており、庭園周辺も砂漠イメージは全くなし。このため、ペルシャ式と言うより、ヨーロッパ庭園のような印象さえ受けます。ただし、庭園構成を見ると「ペルシャ式庭園」に含まれることがよく分かります。

「アッバース・アーバード庭園」は400万年の歴史があるといわれる、ヒカルニアの森に造られたため、植物との共存を強く意識したレイアウトとなっています。作庭はサファヴィー朝時代(1,501〜1,736年)の1611年頃に完成しました。当時の技術の粋を集め、丘を切り崩し、そこに階段状の敷地を創り出し、さらに大規模な灌漑システムを整備したとの事。

豊かな水の源となるのがダム湖で、驚くべきはそこに貯えられた豊かな水を使い、ハンマームと呼ばれる公衆浴場まで完備しました。また、600mにも及ぶ水路(水の供給施設)が整備され、まさに<水と緑の庭園>を呼ぶべき存在でした。その広さは500ヘクタールにも及びます。また、庭園から186mの所には2つのレンガ造りの塔があり、そこから全体を見渡す事が出来ます。

庭園・建築物のレイアウトを見ると、完全なシンメトリー(左右対称)に造られており、中央の池・その周辺の小さな池・なども配置され、<他に類を見ない「ペルシャ式庭園」>であったと言われています。また。「アッバース・アーバード庭園」は眺望も抜群で、北側にはベフシャル平原とカスピ海、南側にはダム湖を見渡す事が出来ます。

完全に整備された観光地ではないため、訪れる人は意外に少ないようです。だが、そのような条件が逆に緑に囲まれた森閑とした空間を創り出しており、そこに佇むと、悠久の歴史と時の流れを超越した異空間を満喫する事も・・・

州内の森

 

 

 

 

 

 

マーザンダラーン州内の森・・・同中には砂漠イマージとは異なるこのような緑豊かなエリアも

地図

 

 

 

 

 

マーザンダラーン州(地図)

庭園

 

 

 

 

 

半遺跡化した「アッバース・アーバード庭園」

湖

 

 

 

 

 

ダム湖に浮かぶ庭園施設

アップ

 

 

 

 

 

庭園施設の内部

風景

 

 

 

 

 

周辺の風景

 

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,026

「世界のガーデン」 第三章:9ヶ所のペルシャ式庭園④

第8回:謎多き「フィン庭園」!

世界遺産に登録されている「ペルシャ式庭園」。4ヶ所目の紹介は「フィン庭園」。

「フィン庭園」はイランのエスファハーン州北部にある都市カシャーンにあります。同市は人口約270,000人で、カヴィール砂漠に隣接しており、典型的な砂漠の中の都市。従って、同庭園もまた砂漠の中の理想郷と言う事が出来ます。

「フィン庭園」は「サファヴィー朝」(16〜18世紀)から「ガージャール朝」(18〜20世紀)にかけて建設されました。つまり、かなりの長期間にわたり変化し続けてきたわけで、その間1743年の大地震での大破損、「ガージャール朝」2代目の「ファトフ・アリー・シャー」(在位:1797〜1834年)による増築などが主要な記録として残っています。また、「ガージャール朝」の近代化を進めた大宰相「アミール・キャビール」暗殺の舞台(浴場で殺された)にもなりました。庭園自体の素晴らしさと同時に、その歴史に触れてみる事で、存在感がさらに増すのでは・・・

「フィン庭園」は「サファヴヴィー朝」以前から存在していたとされていまます。また、カシャーン以外の場所から移設されたと言う説もありますが、残念ながらそのルーツは殆ど明らかになっていません。また、上記事項以外にも度重なる増築・放置など数奇な歴史を辿ったようですが、謎の部分も多い庭園とも言えるでしょう。

「フィン庭園」の構造を見ると、メインとなる中庭は4ヶ所の塔を持つ城壁で囲まれ、2.3ヘクタールの規模を持ちます。また、メインの庭(中庭)に至るには、入り口となる建物を通り、前庭とでも言うべき庭園を通り、さらに中庭への入り口となる建物を通過しなければなりません。そして、前庭には細い水路・中庭に至る建物には大きな池(プール)、中庭の中心部には池(プール)兼水路・噴水などがあり、他の「ペルシャ式庭園」同様(あるいはそれ以上に)、水が贅沢に使われています。

にもかかわらず、現在もポンプ設備(機械)等は使われていません。このようなことが出来るのは、近接している丘(高台)の豊富な水を活用しているからで、ペルシャ時代から極めて高い<水利技術>を持っていたことが分かります。世界のどの庭園を見ても、水を有効利用しています。しかし、「ペルシャ式庭園」は別格とも言える存在で、ヨーロッパの庭園水利技術にも大きな影響を及ぼしたと考えられます。

なお、「フィン庭園」は1935年にイランの国家財産の一つにリストアップされ、2007年にユネスコの世界遺産に指定されました。

入口付近

 

 

 

 

 

 

 

 

入口部分となる建物

 

前庭

 

 

 

 

 

 

入口となる建物と中庭に至る場所にある前庭(?)

 

第二建造物

 

 

 

 

 

前庭(?)とメインの中庭を結ぶ建物。大きな池(プール)を持つ

 

Fin Garden, Bagh-e Tarikhi-ye Fin. Kashan, Iran.

Fin Garden, Bagh-e Tarikhi-ye Fin. Kashan, Iran.

 

 

 

 

 

 

 

中庭(メイン庭園)。2.3ヘクタールの規模を持つ

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,025

「世界のガーデン」 第三章:9ヶ所のペルシャ式庭園③

第7回:「チェヘル・ソトゥーン庭園」!

世界遺産指定の「ペルシャ式庭園」。3番目に取り上げるのは「チェヘル・ソトゥーン庭園」。

「チェヘル・ソトゥーン庭園」は「サファヴィー朝」の「アッバース2世」(在位:1642〜1666年)により造られ、1674年に完成しました。従って、前出の「パサルガダエ庭園遺跡」からは2,000年以上、「エラム庭園」から見ても500年程後に造られた庭園(建造物)と言う事になります。従って、十字の水路+中央の池と言う基本構図からは少し変化していますが、中央部に水路がありそこを中心に理想郷(空間)を創造すると言う、ペルシャ〜イスラム系の作庭思想が引き継がれた建造物である事に変わりはありません。

同庭園は古都「エスファハーン」にあります。同市は現在のイランの首都「テヘラン」の南約340キロに位置し、現在も「エスファハーン州」の州都となっています。同市は元々交通の要所で、古くからヨーロッパ系民族・イスラム系民族・アジア系民族が入交り自然発生的に発展したようです。そこに、「アッバース1世」が目を付け、首都としさらに発展を遂げました。従って、元々あった旧市街と、「アッバース1世」以後に造られた新市街に分かれています。そして、新市街の象徴でもある「イマーム広場」は「チェヘル・ソトゥーン庭園」同様世界遺産に指定。「エスファハーン」は当然のことながら、美しい都市で<イランの真珠>とも呼ばれています。

また、「テヘラン」から遠く離れている為でしょうか、言葉の鉛が強くすぐ判別がつくとの事。日本の標準語(関東系)と関西弁との関係のようなものでしょうか。なお、我が国では同市を「イスファン」「イスファーン」などと表記する事も多く、聞き覚えのある方も・・・

「チェヘル・ソトゥーン庭園」に話を戻しましょう。名前の「チェヘル・ソトゥーン」とは<40本の柱>と言う意味で、宮殿(建物)は20本の柱で支えられており、これに池に写る20本の柱を加え(合計40本)この名前が付けられました。もし来園の機会があればご確認を!

なお、「チェヘル・ソトゥーン庭園(宮殿)」は現在は博物館になっており、容易に見学できる点も観光客等にとってはうれしい事実。そして、玉座が置かれた部屋の壁には、6枚の壁画が掲げられており、「サファヴィー朝」当時の宴・戦いなどが描かれています。当時の状況を今に伝える貴重な資料でもあり、ぜひ庭園と共にじっくり鑑賞を!

 

エスファハーン

 

 

 

 

 

 

州都「エスファハーン」の主要部分

 

チェヘル・ソトゥーン遠景

 

 

 

 

 

「チェヘル・ソトゥーン庭園」の全景・・・まさに砂漠の中の理想郷!

 

チェヘル・ソトゥーン②

 

 

 

 

 

 

正面から見た「チェヘル・ソトゥーン宮殿」

 

チェヘル・ソトゥーン庭園

 

 

 

 

 

 

宮殿を支える20本の柱・・・この繊細な美しさが、ペルシャ・イスラム様式の特徴

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「世界のガーデン」 第三章:9ヶ所のペルシャ庭園②

第6回:「エラム庭園」とその魅力!

既に述べた通り、「ペルシャ式庭園」を知るには、9ヶ所の同世界遺産を観るのが最も合理的方法と言えます。従って、この「世界のガーデン」シリーズも9庭園を取り上げます。ただし、最も古く遺跡でもある「パサルガダエ」は紹介済みであるため、残りの8庭園を順次ピックアップ。まずは、「エラム庭園」から。

「エラム庭園」は9世界遺産の中でも最も有名で、イラン観光の目玉的存在でもあります。その理由として、建築物・庭園自体の魅力もありますが、所在地の魅力と言う点も見逃すべきでありません。

「エラム庭園」はイラン南西部の都市「シーラーズ」(「ファールス州」の州都)にあります。同市は人口約105万人の大都市で、そのルーツを辿れば約2,500前まで遡れると言います。つまり、「ペルシャ文明」発祥当時から存在したと言う事。加えて、「ササン朝ペルシャ」(1750〜1794年)の首都となるなど、数々の歴史の表舞台にも登場します。

加えて、「シーラーズ」は標高1,600mの高地にあるため、気候的にも恵まれており、そんな環境からか30以上の庭園が散在しています。つまり、ペルシャ・イスラム文明圏最大の庭園都市でもあるわけです。そして、言うまでもなくその最高峰と言えるのが「エラム庭園」。

「エラム庭園」が造られたのは「セルジューク朝」時代(1037〜1193年)とされています。となれば、「パサルガダエ」から1,500〜1,600年程後で、ペルシャと言うよりもイスラム系の王朝の作庭で、別物とも言えます。しかし、イスラム文化は民族もほぼ同じで、ペルシャから引き継がれた部分も非常に多く、庭園もまた同様であったことが分かります。ただし、「パルサガエ」〜「エラム庭園」までの間にどのような変遷があり、どの様な庭園造られたか、一般人が手にする資料で把握する事は極めて困難。従って、その間の庭園史を明らかにする事は、少なくとも現時点ではできません。

話を「エラム庭園」に戻します。同庭園はその後の王朝変遷とともに、何度か所有者が変わり、現在は「シーラーズ大学」の持ち物となっています。ただし、博物館としても一般公開されている為、より人々に親しまれている「ペルシャ式庭園」となっています。勿論、庭園様式も「ペルシャ式」と呼ぶにふさわしいもので、他の8ヶ所の庭と共に世界遺産にも指定されています。

なお、「エラム」とは<地上の楽園>と言う意味で、単なる庭を超えた理想空間を創造しようとしたものであったと解釈して良いでしょう。

シーラーズ

 

 

 

 

 

 

現在の庭園都市「シーラーズ」

 

エラム②

 

 

 

 

 

 

「エルム庭園」・・・中央に水路があり「ペルシャ式庭園」であることが分かる。

 

エラム①

 

 

 

 

 

 

 

 

建物付近・・・水を贅沢に使う。それが「地上の楽園」の必須条件であるのかも・・・

 

shira_54[1]

 

 

 

 

 

 

「エラム庭園」の平面略図

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