「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」
第56回:「ラ・グランハ宮殿」と庭園
「平面幾何学式(フランス式)庭園」を紹介中。今回はスペインの「ラ・グランハ宮殿」とその庭園を取り上げます。
「ラ・グランハ宮殿」は、首都マドリードの北約80キロに位置する、カスティーリヤ・イ・レオン州ゼゴビア県にあり、バロック様式の代表的建造物として知られています。宮殿及び庭園を造ったのは「フェリペ5世」。と言っても、これだけで当時の概要と彼の人物像が分かるのは余程のヨーロッパ通。そこで、簡単な説明から。
「ラ・グランハ宮殿」が建造された場所は、グアダラーマ山脈北側の丘陵地帯。この地の利を生かし、当時の有力者の狩猟地となっていました。そんな事情からか、15世紀にはエンリケ4世が教会を建てたのが始まりとされています。
その後夏の離宮が焼失したこともあり、1,719年に協会を「フェリペ5世」が買い上げ、新たに宮殿を建造。これが現在の「ラ・グランハ宮殿」と庭園の元となりました。でも、スペインなのになぜ「平面幾何学式(フランス式)庭園」なのか? その答えは、「フェリペ5世」の生い立ちにあります。
彼は、あの「ルイ14世」とスペイン・ハクスブルク家出身の王妃「マリー・テレーズ」の間に生まれた長男で、生まれたのも「ベルサイユ宮殿」であったため。従って、「ラ・グランハ宮殿」と庭園も、多くを「ベルサイユ宮殿」を真似たとの事。
具体的には、宮殿自体をコの字型にして、三方を建物に囲まれたエリアを作った。この部分から庭園をスタートさせ、軸線を基本とした明確な左右対称型の幾何学式庭園にした・・・と言った指示記録が残っています。その後、継承者の事情・1,918年の火災などで、かなりの変遷はありましたが、「フェリペ5世」時代と決定的な相違はなく、当時の様相を色濃くとどめた貴重な建造物としてその姿を現代にまで伝えています。
本題の庭園は約1,500エーカーと言う広大なもので、18世紀のヨーロッパの見本的な存在だとされています。設計者は「ロベール・デ・コット」と「レネ・カルリエ」の2名で、共にフランスから招かれています。この点をみても<フランス式>にこだわったことは明らかです。
ただ、丘陵地帯と言う地形が活かされているため、「ベルサイユ宮殿」と比較するとかなり段差の大きな庭となっています。従って、イタリアの「露壇式庭園」と似た部分もあり、これがより庭のロケーションを素晴らしいものとしています。
また、スペインと言う土地柄・バロック様式と言った影響もあり、庭園内にはかなり手の込んだ噴水やそれを飾る彫刻物が配されており、その全てがギリシャ神話と関係する物で、古典的思考が強い空間となっています。なお、現在は毎日数カ所の噴水だけを稼働させていますが、「聖フェルナンド」と「聖ルカ」の聖名祝日の2日だけは全噴水が稼働するとの事。
庭園の中心部と宮殿
庭園
ギリシャ神話を題材とした彫刻
宮殿の入り口付近
コの字型になったになった宮殿
「フェリペ5世」の肖像画
ゼゴビア県の位置
ゼゴビア県の紋章