早10日。

新店舗がオープンしてから 早10日が過ぎました。

お店の中のレイアウトや 備品の場所も 定位置ができてきました。

「あれは どこにしまったっけ?」も減ってきました。

おかげさまで 開店イベント後も 忙しくさせていただいています。

地域のみなさまに 知っていただき 「お庭の工事 相談は E&G HIRANOYAへ」と

言っていただけるようがんばっていきたいです。

よろしくお願いいたします。(^-^)

我が者顔。

新店舗 オープンに伴い当店マスコット 「たれ耳うさぎのロッピー」が お目見えです。

オープン記念のイベントの日は ケージに入ったまま

みなさまをお出迎えしましたが 大人気でした。

イベントが終わり数日経ち お店の中が少し静かになったので

ケージの扉を開けてみました。

はじめは びくついていたロッピーでしたが

さらに数日経つと 「ケージから出して」のまなざしと

出てきてからは 我が者顔で 店の中を動きまわっています。

「そろそろケージに戻ろうよ」というくらい

楽しそうにしています。

動きがすばやいので つかまえるのがたいへんです。

「やっとつかまえた!!」

 

 

 

 

 

ガレージが完成しました。

匝瑳市、F様邸のガレージが完成しました。
  

稲葉製作所のブローディアと言う、高級なガレージです。

普通のガレージとは異なり、オーバースライドシャッターで、風に強いものです。見た目もクールですね。
私も欲しくなりました。

by 店長

天然木を使ったエクステリア 今補助金制度も!

天然木の塀・デッキなどに注目! 政府・自治体も後押し!

アンチブロック! それに代わるものとして<天然木を使ったエクステリア(住まいの屋外空間)に注目>が集まっています。単に話題になっているだけではなく、補助金制度も!

「ライフアップ」は以前から<天然木に強いエクステリア専門ショップ>を自認し、多くの作品を提供してまいりました。その技術と経験を活かし、お客様に大きなメリットをもたらせてくれる、天然木エクステリアプランをご提案! しかも、補助金活用も! 詳しくは、スタッフに直接ご確認ください!

 

<補助金制度例>・・・全て「ライフアップ」にお任せ!

 

1:ブロック撤去と代替工事・・・多くの自治体がこの制度を設けています。補助金額はおおよそ10万円〜30万円程度(自治体・工事内容によって異なります)程度。

2:林野庁の「合法木材」使用物件補助・・・企業に対する補助。ただし、それを使う事でお客様にも大きなメリット! しかも、何百万円単位の補助も! 対象分野=天然木を使った全てのエクステリア工事。

*「合法木材」の認定を得るには<国産天然木>を使った方が圧倒的に有利!

 

<国産天然木材を使った作品例>

 

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「スーパーフェンスα」を使った大型塀・・・パネルの天然木には国産木材を使用!

 

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国産の天然木を使ったデッキ!・・・単にデッキを設置するだけでなく、周辺プランとセットで<癒しの空間>に!

 

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高品質エクステリア専用国産天然木「杉柾」を使ったデッキ・・・「杉柾」は樹齢50年以上の杉の芯材ののみを柾目加工! このため、抜群の耐久性・精度・風合い・美しさを持っている。

 

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,022

「世界のガーデン」 第二章:中東の古代史と庭園遺跡①

第3回:メソポタミア文明〜ペルシャ帝国まで

第二章では、<メソポタミア文明〜ペルシャが隆盛に至るまでの約2,500年間の中東動向>と、現時点では<世界最古と推定される庭園遺跡「パサルガダエ庭園」と、その後の都「ペルセポリス」の庭園>について検証します。

メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス文明とも別称されています。その理由はチグリス川とユーフラテス川との間の三角州の中で芽生えた文明であるため。メソポタミアとはギリシャ語で「川に挟まれた場所」という意味でもあります。

この文明が生まれた最大の理由は<川に挟まれた肥沃な土地と、それを活用した農業が発達>したため。つまり、生活に余裕が出来、その余力から世界でも最も早く大きな人間集団が生まれた。具体的には、BC3,500〜3,000年頃にシュメール人(民族系統不明)と呼ばれる人たちが、中心部に神殿・聖塔などを持つ都市を創り出したと言う次第。そして、シュメール人は<楔形文字>を生み出し、さらに文明の発達をスピードアップさせました。

しかし、BC2,350年頃、シュメール人はセム系民族(セム系語を使う民族。北アフリカ・中東・西アジア・アラビア半島等に居住)のアッカド人に征服され、BC2,000年頃には同じセム系のアルム人が主体者となります。そして、このアルム人の王国がバビロニアで、彼等は有名な<ハムラビ法典>を発布。つまり、メソポタミア文明は1,500年程続いたことになりますが、その間に王朝転向を含め大きな変遷があったと言う事。

その後も、中東エリアでは様々な民族が覇権を争いますが、BC1,500〜BC1,400年頃にインド・ユーロッパ語族のヒッタイト人が大帝国を築き、かなり広大な地域を征服。その背景には<鉄器の発明による強大な軍事力>がありました。しかし、強国ヒッタイトも度重なる内紛などで弱体化し、BC800年頃、中東エリアは再び多民族国家の分裂状態となります。

その中から、現在のイランを中心拠点としていたペルシャ人が次第に台頭。そして、BC550年にキュロス2世がペルシャ王国最初の首都パサルダガエ建設を開始したことは、既に<このシリーズ第2回>でも紹介した通り。このペルシャ帝国はアケメネス朝 or ハカーマニシュ朝とも呼ばれますが、これは王の家祖名によるもので、アケメネスが古いギリシャ語発音・ハカーマニシュが同ペルシャ語発音で同じもの。そのペルシャ王朝も内紛が絶えず、傍系のダイオレス3世の時代(BC330年)にマケドニアのアレクサンドロス大王との戦いに敗れ滅亡します。つまり、一時期北アフリカ〜西アジア~中東〜インドの手前まで版図を拡げたペルシャ帝国も、約220年でその歴史を閉じたと言う事。

3:ハムラビ法典

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ハムラビ法典>が記された石柱・・・バビロンアルム人は<ハムラビ法典>によりバビロニアの支配力を強めようとした。

 

3:ヒッタイト戦車

 

 

 

 

 

 

ヒッタイトの戦車・・・ヒッタイトは鉄器の発明で強大な軍事力を持つようになった。

 

4:キュロス2世碑文

 

 

 

 

 

ペルシャ帝国最初の基盤を築いたキュロス2世の碑文。

 

3:アケメネス版図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アケメネス朝の勢力範囲

 

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