新店舗がオープンしてから 早10日が過ぎました。
お店の中のレイアウトや 備品の場所も 定位置ができてきました。
「あれは どこにしまったっけ?」も減ってきました。
おかげさまで 開店イベント後も 忙しくさせていただいています。
地域のみなさまに 知っていただき 「お庭の工事 相談は E&G HIRANOYAへ」と
言っていただけるようがんばっていきたいです。
よろしくお願いいたします。(^-^)
新店舗がオープンしてから 早10日が過ぎました。
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「あれは どこにしまったっけ?」も減ってきました。
おかげさまで 開店イベント後も 忙しくさせていただいています。
地域のみなさまに 知っていただき 「お庭の工事 相談は E&G HIRANOYAへ」と
言っていただけるようがんばっていきたいです。
よろしくお願いいたします。(^-^)
アンチブロック! それに代わるものとして<天然木を使ったエクステリア(住まいの屋外空間)に注目>が集まっています。単に話題になっているだけではなく、補助金制度も!
「ライフアップ」は以前から<天然木に強いエクステリア専門ショップ>を自認し、多くの作品を提供してまいりました。その技術と経験を活かし、お客様に大きなメリットをもたらせてくれる、天然木エクステリアプランをご提案! しかも、補助金活用も! 詳しくは、スタッフに直接ご確認ください!
1:ブロック撤去と代替工事・・・多くの自治体がこの制度を設けています。補助金額はおおよそ10万円〜30万円程度(自治体・工事内容によって異なります)程度。
2:林野庁の「合法木材」使用物件補助・・・企業に対する補助。ただし、それを使う事でお客様にも大きなメリット! しかも、何百万円単位の補助も! 対象分野=天然木を使った全てのエクステリア工事。
*「合法木材」の認定を得るには<国産天然木>を使った方が圧倒的に有利!
「スーパーフェンスα」を使った大型塀・・・パネルの天然木には国産木材を使用!
国産の天然木を使ったデッキ!・・・単にデッキを設置するだけでなく、周辺プランとセットで<癒しの空間>に!
高品質エクステリア専用国産天然木「杉柾」を使ったデッキ・・・「杉柾」は樹齢50年以上の杉の芯材ののみを柾目加工! このため、抜群の耐久性・精度・風合い・美しさを持っている。
第二章では、<メソポタミア文明〜ペルシャが隆盛に至るまでの約2,500年間の中東動向>と、現時点では<世界最古と推定される庭園遺跡「パサルガダエ庭園」と、その後の都「ペルセポリス」の庭園>について検証します。
メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス文明とも別称されています。その理由はチグリス川とユーフラテス川との間の三角州の中で芽生えた文明であるため。メソポタミアとはギリシャ語で「川に挟まれた場所」という意味でもあります。
この文明が生まれた最大の理由は<川に挟まれた肥沃な土地と、それを活用した農業が発達>したため。つまり、生活に余裕が出来、その余力から世界でも最も早く大きな人間集団が生まれた。具体的には、BC3,500〜3,000年頃にシュメール人(民族系統不明)と呼ばれる人たちが、中心部に神殿・聖塔などを持つ都市を創り出したと言う次第。そして、シュメール人は<楔形文字>を生み出し、さらに文明の発達をスピードアップさせました。
しかし、BC2,350年頃、シュメール人はセム系民族(セム系語を使う民族。北アフリカ・中東・西アジア・アラビア半島等に居住)のアッカド人に征服され、BC2,000年頃には同じセム系のアルム人が主体者となります。そして、このアルム人の王国がバビロニアで、彼等は有名な<ハムラビ法典>を発布。つまり、メソポタミア文明は1,500年程続いたことになりますが、その間に王朝転向を含め大きな変遷があったと言う事。
その後も、中東エリアでは様々な民族が覇権を争いますが、BC1,500〜BC1,400年頃にインド・ユーロッパ語族のヒッタイト人が大帝国を築き、かなり広大な地域を征服。その背景には<鉄器の発明による強大な軍事力>がありました。しかし、強国ヒッタイトも度重なる内紛などで弱体化し、BC800年頃、中東エリアは再び多民族国家の分裂状態となります。
その中から、現在のイランを中心拠点としていたペルシャ人が次第に台頭。そして、BC550年にキュロス2世がペルシャ王国最初の首都パサルダガエ建設を開始したことは、既に<このシリーズ第2回>でも紹介した通り。このペルシャ帝国はアケメネス朝 or ハカーマニシュ朝とも呼ばれますが、これは王の家祖名によるもので、アケメネスが古いギリシャ語発音・ハカーマニシュが同ペルシャ語発音で同じもの。そのペルシャ王朝も内紛が絶えず、傍系のダイオレス3世の時代(BC330年)にマケドニアのアレクサンドロス大王との戦いに敗れ滅亡します。つまり、一時期北アフリカ〜西アジア~中東〜インドの手前まで版図を拡げたペルシャ帝国も、約220年でその歴史を閉じたと言う事。
<ハムラビ法典>が記された石柱・・・バビロンアルム人は<ハムラビ法典>によりバビロニアの支配力を強めようとした。
ヒッタイトの戦車・・・ヒッタイトは鉄器の発明で強大な軍事力を持つようになった。
ペルシャ帝国最初の基盤を築いたキュロス2世の碑文。
アケメネス朝の勢力範囲