夏の思い出キャンペーン

こんにちは!住まいの総合ショップ、リフォームやましたです(^^)/
7月24日(金)~26日(日)に、「夏の思い出キャンペーン」を開催します★
クイズラリーに参加で、ハンモックが当たるチャンス!
他にも、お見積り特典として手持ち花火、契約特典としてハウスクリーニング(トイレ)をプレゼントします(^^)/
楽しみながら、やましたのおススメ商品を知ってもらえたら嬉しいです♪
※コロナウイルス感染対策として、お客様にはマスクの着用をお願いしております。ご理解・ご協力を宜しくお願い致します。
(株)リフォームやました 木藤
神奈川県厚木市上依知1363-1
電話 046-245-0481
フリーダイヤル 0120-45-0408
FAX 046-245-2246
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みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,045

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第27回:「ベルサイユ宮殿」とその庭園②

 

引き続き「ベルサイユ宮殿」について。今回はその庭園について述べます。

「ベルサイユ宮殿」はパリの南西約22㎞の位置にありますが、近くに水源(川など)はありません。そこで、約10キロも離れたセーヌ川から水を引き込み作庭を行いました。これだけでも大変な工事であったでしょう。

この庭園部の設計・監督は「アンドルト・ル・ノートル」(1,613~1,700年)で、「平面幾何学式庭園」様式を確立した人物とも言われており、他に「デュイルリー庭園」「ヴォー=ル=ヴィコント城庭園」などがその作品としてよく知られています。

この庭園の最大の特色はそのスケールの大きさで、100万㎡に及ぶ総面積の大半を占めています。そして、この巨大さ自体が重要であった事を忘れてはなりません。宮殿から見える世界全てが庭園であり、来場者を圧倒するスケールが作庭の基本条件として求められたからです。勿論、その背景には絶対王者「ルイ14世」の意思が強く働いていました。これだけの巨大庭園を造るには約40年の歳月と36,000人の労働力が投入されたとされています(ちなみに、「ベルサイユ宮殿」本体の投入労力は25,000人程度)。まさに、空前の大工事であったという事。

庭園の基本レイアウトを見ると(「平面幾何学式庭園」の基本構成でもある)、まず中央部に「ビスタ」(軸線 or 通景線)と呼ばれる直線状の空間が通っており、全体が左右対称の幾何学的構成となっています。「ベルサイユ宮殿」の場合は、「ビスタ」の中央部を「カナル」と呼ばれる水路が十字に走り、その要所要所に池や噴水が配されています。さらに、その周辺には特有の幾何学模様に刈り込まれた植栽エリアがあり、全体が計算されつくした構成(庭園配置図参照)になっています。

また、本体となる宮殿(配置図右下)以外にも「大トリアノン離宮」「小トリアノン離宮」(配置図左上)があり、さらに庭園の外周を広大な樹林地帯が囲んでいます。庭園の主要部自体が広大であるのに、さらに樹林地帯で囲まれているため、冒頭で確認した通り「ベルサイユ宮殿」の庭園部はまさに<世界の全て>を連想させる唯一無二の空間となっています。

「ベルサイユ宮殿」の庭園でもう1つ注目すべき点は、「アポロン泉水」と言う巨大な池の存在。この池は、「ビスタ」の最後部にあり、庭園の広大さをさらに強調する圧倒的存在感を創り出しています。

最後に、(前項でも触れましたが)「ルイ14世」は民衆にこの巨大な庭園を開講しました事を付記しておきます。そこには自己の権威を見せつけると言った意思も働いていたでしょう。ただし、それだけではなく<民への優しさ>と言った一面も感じ取ることが出来きる行動とも言えます。現に、「ルイ14世」は民衆の間でも人気が高かったと言った評価が現代にまで伝わっています。

配置図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭園の配置図

噴水庭園

 

 

 

 

全景

 

ラトナ噴水

 

 

 

 

ラトナ噴水

 

幾何学的植栽

 

 

 

 

 

「ビスタ」周辺に配された特殊な刈込を行った植栽エリア

 

アポロン泉水

 

 

 

 

「アポロン泉水」・・・「ビスタ」最後部に造られた巨大な池

アンドルト・ル・ノートル

 

 

 

 

 

 

 

「アンドルト・ル・ノートル」・・・庭園の設計・監督。当時最も著名だった作庭家

イラスト1668年

 

 

 

 

 

庭園の全体イラスト(1,668年作画)・・・作庭当初の姿が分かる貴重な資料

所在地

 

 

 

 

 

「ベルサイユ宮殿」の所在地

 

多段柱の目隠しフェンス

国道沿いのお宅が取り壊されてしまい、信号待ちの車からよく見えてしまうので

何か目隠しがしたいとのご要望で、目隠しのフェンスを施工させていただきました。

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こちら側とご自宅側の高低差があるため多段柱と言う 長い柱を使っています。

「ちょうどいい高さに仕上がってよかったです」とお喜びいただきました。

こんにちは!住まいの総合ショップ、リフォームやましたです(^^)/

最近、「お庭時間を充実させたい」という方は少なくないと思います。そんな中、お客様によく注目されるのは、ピザ窯。これがあれば、休日にお父さんがヒーローになれるチャンスがいっぱいですね(^^♪

梅雨が明けたら、お庭時間を目一杯楽しみましょう♪

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みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,044

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第26回:「ベルサイユ宮殿」とその庭園①

 

「平面幾何学式(フランス式)庭園」で最初に取り上げるのはやはり「ベルサイユ宮殿」の庭。同形式庭園流行の元を創り、しかもそのスケールを上回るものは以後も登場しなかったからです。なお、この機会に「平面幾何学式庭園」の基本構成についてももう少し詳しく補足しておきます。

「ルイ14世」と「ベルサイユ宮殿」

「ベルサイユ宮殿」を創ったには「ルイ14世」です。そして、この宮殿を語るにはどうしても「ルイ14世」についての知識が必要です。彼のある意味特異な存在がこの宮殿を生み出したからです。

「ルイ14世」(生歿:1,638~1,715年 在位:1,643~1,715年)でまず注目すべきは、72年という在位の長さで、ヨーロッパ系の王では最長と言われています。彼はルイ13世の長男として生まれ、父の急死によりわずか4歳で「ブルボン朝」の3代目国王となります。当然のことながら就任当初は補佐役が国を実効運営していたわけで、特に宰相ジュール・マザランが著名。彼の力でフロンドの乱を鎮圧するなど、(臣下にめ恵まれ)ある意味ラッキーな面もあり、王朝の足元を強固なものとします。

1,661年になると「ルイ14世」の親政時代が始まり、中央集権制を敷いた重商主義(商いを推奨するなどして国を富ませる)政策を推進。さらには、各地の紛争を抑え、オランダとの戦いにも勝利するなどして勢力を拡大していきます。そして元々大きな力を持っていた「ブルボン朝」の最盛期を創出し絶対君主体制を確立します。要するに、長いヨーロッパの歴史の中でも<最強の王>であったという事。

その「ルイ14世」が心血を注いだ建造物が「ベルサイユ宮殿」であり、約20年の歳月をかけ1,682年頃に一応の完成を見ます(ただし、この後も改修は続く)。ただし、「ベルサイユ宮殿」の元を作ったのは父ルイ13世で、1,624年頃狩猟のための館として建てられました。また、1,768年にはルイ15世が小トリアノン宮殿を追加建設・1,837年ルイ・フィリップ王が戦いの間を開設・1,871年にはドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われる・1,919年の「ヴェルサイユ条約」(第1次世界大戦終結のための条約。「鏡の間」にて締結)締結場所となるなど、絶えず歴史舞台にも登場してきました。それだけ重要な建造物だと言えるでしょう。

これだけの権力を持った「ルイ14世」ではありますが、王族だけではなく貴族も住まわせた・庭園へは民衆の出入りも許したなど、人心掌握術も身に着けた王で、庶民にもかなり人気があったようです。ただし、5代下となる「ルイ16世」の美妻「マリー・アントワネット」は同宮殿で贅を尽くしかつ反革命派のリーダーであったとして(異説あり)、フランス革命で処刑されるという悲劇の主人公も生み出します。

ルイ14世

 

 

 

 

 

 

 

「ルイ14世」
宮殿

 

 

 

 

「ベルサイユ宮殿」全景

 

鏡の間

 

 

 

 

「鏡の間」・・・第1次世界大戦終結の場(「ベルサイユ条約」締結)になった

 

 

マリー・アントワネット

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリー・アントワネット」・・・フランス革命で処刑された悲劇の王妃

 

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