みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,065

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第47回:「ツヴィンガー宮殿」とその庭園

 

ドイツの「平面幾何学式(フランス式)」の流れを汲む庭園を紹介中。今回は「ツヴィンガー宮殿」とその庭を紹介します。

「ツヴィンガー宮殿」はドイツのザクセン州の州都「ドレスデン」にあり、その建物は有名な「ドレスデン美術館」の構成物としても知られています。

「ツヴィンガー宮殿」の歴史を辿ると、中世から近代にかけて同地を支配してきた「ザクセン公国」の王の一人「フリードリッヒ・アウグスト1世」(在位1,694~1,733年、ただし、彼はポーランド・リトアニア王でもあった)により建造されました。

「ツヴィンガー宮殿」の原型は12世紀に既に築かれておおり、その後改修・拡張工事も随時行われています。しかし、それまで建物は木造で、1,687~1,689にかけて外遊を続けた「フリードリッヒ・アウグスト1世」は「ザクセン王」の住処にはそぐわないと考え、石造りに建て替え庭園にも手を入れ、それが現在の「ツヴィンガー宮殿」へと繋がっています。

宮殿建造の経緯を辿ると、1,709年に建て替え計画がスタート。1,711年建築開始。1,719年落成とほぼ10年の時が費やされています。また、その後も随時手が加えられ、実際に完成したのは1,728年頃とされています。また、1,733年に先代を引き継いだ「フリードリッヒ・アウグスト2世」も近くを流れるエルベ川側に「ホフ協会」を建てるなど、同宮殿建築群の充実化に尽力しました。

1,800年代に入っても宮殿は手を加えられ、美術品の収集場所としても使われるようになります。また、1,869年には「センパーオーパー」の愛称で知られる歌劇場も建設。しかし、このように進化を遂げてきた「ツヴィンガー宮殿」も第二次世界大戦下の1,948年に爆撃により焼失してしまいます。

ただし、大戦終了後間もない1,951年から中庭の公開を機会に補修が始まり、1,963年にはほぼ元の姿を取り戻します。そして、現在は前述のごとく「ドレスデン美術館」の一部にもなり、貴重な歴史的建造物として多くの人が訪れるようになっています。

また、「ツヴィンガー宮殿」は「マイセン」の焼き物も展示されるなど、陶芸に関しても重要な役割を果たしていたことが縁で、伊万里・有田焼で知られる佐賀県西松浦郡有田町に「有田ポーセリンクパーク・ツヴィンガー宮殿アートギャラリー」が造られ、その外形の一部を再現。また、内部では焼き物の展示も行われています。

ドレスデンの紋章

 

 

 

 

 

 

 

ドレスデンの紋章

 

 

ツヴィンガー宮殿の中庭

 

 

 

 

 

 

 

「ツヴィンガー宮殿」の中庭

 

 

アルテ・マイスター絵画館

 

 

 

 

 

「ツヴィンガー宮殿」は「ドレスデン美術館」内の「アルテ・マイスター絵画館」としても使われている

 

ツヴィンガー宮殿(1948年)

 

 

 

 

 

爆撃により焼失した「ツヴィンガー宮殿」

 

フリードリヒ・アウグスト1世

 

 

 

 

 

 

 

「「フリードリッヒ・アウグスト1世」の肖像画

 

 

ドレスデン美術館

 

 

 

 

 

 

「ドレスデン美術館」

 

1750年のドレスデン市街図

 

 

 

 

 

 

「ドレスデン」の市街図(1,750年)

 

有田ギャラリー

 

 

 

 

 

有田にある「有田ポーセリンクパーク・ツヴィンガー宮殿アートギャラリー」

 

有田ギャラリー内部

 

 

 

 

「有田ポーセリンクパーク・ツヴィンガー宮殿アートギャラリー」内部

 

 

 

腐らない、塗り替え不要の樹脂デッキ

以前、人工地盤の工事をさせていただいた方から

自ら作ったデッキが傷んでしまったので作り変えたいとのご要望がありました。

今回は、塗り替えのいらない、腐らない『樹脂』で出来たデッキを作らせていただきました。

写真では分かりにくいのですが、猫ちゃんが、での下に潜らないようメッシュで囲いました。よく出来ましたとおっしゃってくださり、感激です。ありがとうございました。

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テラス屋根 張り替え

2年前の台風で飛ばされてしまってテラス屋根の作り替えをしています。

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家をぐるっと囲む大きなテラス。今回は、アルミではなく、木製です。綺麗に白く塗装もおわり、後は、屋根をはるのみ。

さて、どんな色の屋根になるでしょう。次回のお楽しみです^_^

木製製のテラスも、E&G HIRANOYAまで!

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,064

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第46回:「ヘレンキームゼー城」とその庭園

 

ドイツの「平面幾何学式(フランス式)庭園」を紹介中。この項では「ヘレンキームゼー城」とその庭園を取り上げます。

「ヘレンキームゼー城」はドイツ南部で面積が同国最大のバイエルン州にあります。しかも、同州でも最南端に近い「キーム湖」の島「キームゼー島」に建造されたため、隣国オーストリアと数々の因縁を持つ城でもありました。

城を建設したのは第4代バイエルン王「ルートヴィヒ2世」(在位1,864~1,886年)で<建築と音楽に対する浪費を重ねた狂王>と言う不名誉な呼称で知られています。ただ、その分芸術等には造詣が深く、多くの文化遺産を残しました。勿論「ヘレンキームゼー城」とその庭園もその代表作の一つ。

「ヘレンキームゼー城」は前述のごとく湖に浮かぶ島(キームゼー島)をすべて買い取りそこに建設されました。しかも、城・庭園共に「ベルサイユ宮殿」を模して造られました。それだけでも、規模の大きさ・投入された莫大な費用等を想像する事が出来ます。加えて、「ベルサイユ宮殿」建設後約200年の月日が経過しており、その間の技術革新により<ベルサイユをしのぐ部分もある>と言う評価もあります。

例えば、「ヘレンキームゼー城」内でも最も豪華な「鏡の間」も「ベルサイユ宮殿」を模倣したものですが、それよりも天井が高く8mに達しています。また、「鏡の間」の天井には「ルートヴィヒ2世」が尊敬していた「ルイ14世」(「ベルサイユ宮殿」の建造者)の25にも及ぶ壁画が描かれています。

ただ、同城は1,878~1,886年にかけて建設されましたが、ここで工事が中断しています。「ルートヴィヒ2世」が死去したからで、完成すれば部屋数が70となるはずでしたが、現存するのは20室のみで、残りの50室は未完のまま。果たして、同国に取りそれが不幸であったのか幸いしたのか・・・

同城の庭園も「ベルサイユ宮殿」を真似て造られました。従って、古典的な平面幾何学様式ではあるが、「ルートヴィヒ2世」の好みであったロマン主義的な要素も多数含まれています。この庭園の造営の総指揮者は「カール・フォン・エフナー」と言う人物で、中央の軸線を起点としており、そこから左右対称の大空間が広がる計画でした。また、中央部には巨大な池とその中に大噴水が配されました。しかし、その周辺に関しては城本体同様、「ルートヴィヒ2世」の死と共に工事が中止され、現在も軸線部分だけの庭園となっています。

なお、「ルートヴィヒ2世」は狂王の名にふさわしく(?)、「ヘレンキームゼー城」以外にも「ノイシュヴァンシュタイン城」や「バイロト祝祭劇場」などを残し、「バイロト祝祭劇場」は今も世界中の音楽愛好家憧れの場となっています。

航空写真

 

 

 

 

 

 

 

「ヘレンキームゼー城」の航空写真

 

庭園より

 

 

 

 

 

 

庭園から城を臨む

 

噴水

 

 

 

 

噴水と城

 

 

ヘレンキームゼー城

 

 

 

城の全景

 

 

鏡の間

 

 

 

 

 

鏡の間

 

 

外装

 

 

 

 

 

城の外装

 

 

キーム湖

 

 

 

 

キーム湖

 

バイエルン州

 

 

 

 

 

 

 

バイエルン州の位置

 

 

バイエルン州紋章

 

 

 

 

バイエルン州の紋章

 

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