りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,634

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・「茶道」と「露地」という特有の世界!

室町時代の中期以降、「東山文化」が発信元となり、新しい芸術・芸能が広がっていきました。その広がりとは、京都から地方へと言うエリア面と、皇族・貴族・足利一族・僧侶と言った限定者~守護大名・各層の有力者と言う対象者、と言う2方向のことです。つまり、この時代から芸術・芸能(ある意味文化の)大衆化が少しずつ始まったと考えるべきでしょう。その大衆化の大きな要因が、応仁の乱、守護大名らの台頭と言った戦乱であり、何か皮肉さも感じます。

「東山文化」以降、能、茶道、華道、連歌、建築、庭園、などがさらに普及していきます。この中で、「日本庭園」に最も大きな影響を及ぼしたのが、茶道と新しい建築様式です。

茶道とは何か? これは窮めて奥の深い問題であり、一朝一夕に答えを出すことは出来ません。ただ、茶道は堺(現、大阪府堺市)の町人富裕層から流行が始まりました。そして、次第に守護・戦国大名などへ広がると言う、これまでの文化とは逆現象を起こしました。この点もひとつのキーワードかもしれません。いずれにしても、「北山・東山文化」「臨済禅」の影響が大きいことだけは間違いありません。そして、これらの精神をより昇華させ、喫茶・喫茶空間の中に凝縮して行った結果、特有の超シンプルな様式が生まれたのでしょう。それを進化と見るべきか、退化と見るべきか・・・ 

一方建築に関しても、「東山文化」をスタート地点として、「寝殿造」をベースに、これもまたよりシンプルさを求めた「書院造」と言う新様式が生まれます。そして、その発展形の一つが「数奇屋造」・茶室と考えて良いでしょう。

茶道と新しい建築様式の影響を受け、「日本庭園」にも大きな変化が生まれます。スケール的には小さくなったが、より極端な様式の「露地」と呼ばれる庭園が、茶室とセットで多数造られるようになったからです。「露地」とは類似語の「路地」(人が通る狭い道)から派生したもので、そのイメージが庭園空間に取り入れられました。

従って、「数奇屋風」と呼ばれる超シンプルな雰囲気、狭い通路を思わせるアプローチコーナー、と言った点が大きな特色です。「寝殿造」の庭園は、瀬戸内の海と言った風景が良くモデルに使われました。しかし、「露地」のモデルは深山・小さな渓流などです。日本人の感性に最も良くマッチした様式とも言えるでしょうか。ただ、何かパワーダウン(スケールだけではなく、精神・思想面でも)を感ぜずにはいられません。

いずれにしても、「露地」は単独茶室+庭園というだけではなく、新旧の大型庭園の中にも造られるようになり、その後の「日本庭園」には無くてはならないものとなり、現在に至っています。

そこで本日のひと口アドバイス。

数奇屋造、茶室、露地・・・果たして文化の進化なのか退化なのか???」

(りょう)

 

 

 

 

 

「露地」:妙心寺

 

 

 

 

 

 

 

 

「露地」:全景イラスト

 

 

 

 

 

 

 

 

「露地」:アプローチ部分

 

 

 

 

 

茶室の腰掛待合