「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,916
「日本庭園と日本外構 編」・・・日本庭園のルーツ「国内編」!
日本庭園・日本外構を論ずるにあたり、まずそのルーツを探って見たいと思います。そしてそのルーツは2つあると考えられます。1つ目は日本古来からある慣習(宗教観等も含む)に由来するもの。2つ目は中国文化の影響です。
本稿ではまず日本古来の慣習から生まれた庭園のルーツを探ります。ただし、資料が極めて少なく特定のネットで得られた情報を元にその姿を追います(参考にしたネット資料 URL http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/genryu.htm 「日本庭園の源流」)。ご了承ください。
国内遺跡から推定される日本庭園の1つ目のルーツとしては、ストーンサークルを上げることが出来ます。ストーンサークルでもっとも有名な遺跡はイギリス(ストーンヘンジ)ですが、世界各所に存在します。日本でも縄文時代のものがいくつか発見されています。北海道小樽市の「忍路環状列石」(写真参照)、秋田県鹿角市の「大湯環状列石」などが著名で、日本庭園の石組の原点の1つと考えられます。
ただし、ストーンサークルはどのような生活習慣、宗教観から生まれたのか、また世界各所のストーンサークルが共通の目的を持つのか確定されていません。ただ、ストーンヘンジなどの研究が進み、天体観測が主目的~歴や生活サイクル決定情報の提供~農業の発展・安定化と深く結びついているという説が有力になっています。しかし、その背景に人間の美意識というものも働いていたと推定されます。多くのストーンサークルが観賞価値の高いフォルムを備えているからです。
さらに時代が下り、古墳時代(3世紀以降)になると、より明確な日本庭園のルーツと考えられる遺跡が出現します。そのもっとも有名なものが三重県上野市にある「城之超遺跡」(写真参照)です。同遺跡は上古古墳時代の住居と隣接したもので、川の3ヶ所の湧水部分に造られ、自然の流れを活用し庭園のような構成になっています。
つまり、自然に石組等の人工的な手を加えコーナー演出を施したわけです。後代の日本庭園に通じるものがあることは間違いないでしょう。ただし、生活に密着したものか、宗教観によるものか、他の主目的があったのか特定されていません。いずれにせよ、ストーンサークル同様、美的感覚的にも優れたものであったことは間違いありません。
さらに、延喜式などに登場する古い神社からも多数の日本庭園のルーツ的な石組・池等が発見されています。山梨県笛吹市の「山梨岡神社磐座」(写真参照)、長野県上田市の「生島足島神社神池」などがその代表例です。
その一方で、飛鳥時代になると中国との関係が深まり、政治、文化、都市づくり等に強い影響を及ぼすようになります。では、中国文化は日本庭園発生に対しどのような影響を及ぼしたのでしょうか・・・
そこで本日の一口アドバイス。
「上古古墳時代、既に川を利用した日本庭園の原点的なものが登場!」
(りょう)
忍路環状列石
城之越遺跡
山梨岡神社磐座