りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,980

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「鎌倉時代」と「武家造」建築?

飛鳥時代以前~飛鳥時代~奈良時代~平安時代の庭園・外構について検証してきました。引き続き、この項からは「鎌倉時代」と同時代の建築、庭園・外構について考えます。

まず、「鎌倉時代」について。「鎌倉時代」とは、平清盛等平家一門が築いた、朝廷・貴族社会から武家社会への移行期を経て、本格的に武士の世の中へと体制が変化した時代の事です。年代的には諸説ありますが1185~1333年と言うのが最も有力。つまり、おじさん・おばさん達が学んだ1192年(イイクニ創ろう鎌倉幕府)説は完全に否定されたと言う事でもあります。ちなみに、1185年とは守護・地頭設置が正式に認められた年で、本当の意味でここから武士の政治が始まったと解釈されているため。

「鎌倉時代」の創始者は、勿論源頼朝で、京都・朝廷の影響を廃すると言う目的も含め、政治の中心を鎌倉に移したため、この名前が付きました。ただ、政権が武士(源氏)に移ったと言っても、これまでの社会形態が100%崩れたと言うわけではありません。具体的には、貴族社会の流れを汲む荘園・公領はそのまま残し、地方を地頭と呼ぶ武士により治めさせ、二元的管理を行ったと言う事。

また、鎌倉時代のスタート期を収めたのは頼朝を頂点とする源氏一族でしたが、妻・政子の影響もあり、次第に北条氏が勢力を握り、執権政治が行使されるようになります。つまり鎌倉時代とは、前半・源氏、後半・北条の時代と言えます。たが、政治システム・文化と言う面では、一つの時代と考えて良いでしょう。

特色としては、武家勢力が東国中心から全国に及ぶようになった、質実剛健と言うイメージが強い風土を生み出した、鎌倉仏教(浄土系仏教、各種禅宗、等)が武家~一般大衆へと広まった、などを上げることが出来ます。ただ、文化と言う面でとらえると、次の室町時代で花開き、鎌倉時代はその準備段階と言った印象を強く受けます。

そんな中で、着実に新しい形態が生み出されたのは建築の分野です。「武家造」と言う建築様式が確立されたからです。そしてこの、鎌倉時代発祥の「武家造」は江戸時代終了まで、日本の木造建築に大きな影響を及ぼします。その様式は、平安時代の「寝殿造」と室町時代の「書院造」の中間に位置するものと考えられます。具体的には、神殿・小御所・常御所・二棟御所・釣殿・侍所などから構成されており、寝殿造を武家社会にマッチするよう造り替えた建築様式とも言えます。従って、庭園の重視と言う発想も受け継がれ、池泉回遊式の庭が釣殿にセットされていたと推定されています。ただ、鎌倉時代の武家造に関しては資料が極めて乏しく、今後の研究課題として残されています。

鎌倉時代を庭園と言う視点で見ると、政務を行う場所・高級住宅では、前述のごとく庭園が造られていた可能性が強いと言う事。ただし、それがどのような庭園であったか、「寝殿造庭園」との相違があったのか、殆ど分かっていません。一方、寺院関連の庭園では、平安中期以降の「浄土式庭園」が継承され、大きな変化は見られません。

従って、鎌倉時代の庭園・外構に関しては、同時代の「浄土式庭園」をサンプルとして取り上げるにとどめます。一方、「武家造庭園」と言うものが存在したとするなら、今後研究を待たざるを得ません。

そこで本日の一口アドバイス。

「鎌倉時代とは? 武家造とは? そして同時代の庭園・外構とは?」

(りょう)

 

 

 

鎌倉時代の「武家造」絵図

 

 

 

 

 

 

 

 

源頼朝

 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉大仏