りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,999

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・夢窓疎石の庭「覚林房」!

「夢窓疎石」作の庭園を紹介中です。この項では、6番目の作品として「覚林房」を取り上げます。ただ、「覚林房庭園」については不明瞭な点も多く、「夢窓疎石」当時の様相がどの程度残されているか疑問も残ります。

「覚林房」

「覚林房」は山梨県・身延町にある日蓮宗の総本山。ただし、日蓮が1281年に興した「久遠寺(身延山)」に含まれるもので、「久遠寺」の中の東谷塔中の施設です。また、「覚林房」の開基は日朝(「久遠寺」11世法主)で、彼は「久遠寺」中興の祖とも呼ばれる人物でもあります。

「覚林房」は日朝が隠棲した寺院でもありますが、宿坊部分が、湯葉の懐石料理で有名な料亭となっており、身延周辺の観光名所にでもあります。そして、「夢窓疎石」作と伝えられる庭園は、その宿坊とつながっており、湯葉料理を楽しみながら鑑賞できるようになっています。このような事情で、整備は整っていますが、室町時代当時の面影をどの程度留めているかは疑問です。

「覚林房」に関しては、他にも疑問があります。開基・日朝の生・没年は1422~1500年。一方、「夢窓疎石」は1351年に没しており、日朝より100年も以前に活躍した人物であるからです。従って、同寺が「覚林房」となる以前に「夢窓疎石」との接触があり、その時点で「覚林房庭園」が造られ、現代に引き継がれたと言う事になります。ただし、筆者が調べた範囲では、その詳細資料を確認することは出来ませんでした。

現在の「覚林房庭園」は江戸・元禄時代に再興されたものと伝えれています。徳川家が天井彫刻を寄進するなど、重要視してきた寺院でもあり、「覚林房」も、大半が江戸期以降のものと判断してよいでしょう。庭園は池泉式ですが、他の「夢窓疎石」の作品と比較すると、より江戸時代の庭園に近いようにも感じます。

 

 

 

 

 

覚林房内の「日朝堂(旧・朝師堂)」

 

 

 

 

 

 

覚林房内の「瑞門」(偏額の文字は本阿弥光悦)

 

 

 

 

 

 

庭園鳥瞰

 

 

 

 

 

 

 

 

覚林房庭園

 

 

 

 

 

池と鯉

 

そこで本日の一口アドバイス。

「覚林房庭園と夢窓疎石。いつ作庭され、どの程度その面影が残されているか・・・」

(りょう)