りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,020

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・戦国時代の庭園、変遷と特性?

前項では「戦国時代」~「江戸草創期」の作庭家について言及しました。続いて、同時期の庭園の変遷と特性について考えてみたいと思います。

「戦国時代(安土・桃山時代を含む)」とは応仁の乱(1467年~)頃から、最長で大坂夏の陣終了(1615年)までを指します。江戸時代のスタートは、徳川家康が征夷大将軍となった(1603年)時からとするのが一般的ですが、ここでも夏の陣頃までを含めて状況分析していきます。

「戦国時代」の庭園を語る時、応仁の乱を無視することは出来ません。鎌倉時代と異なり、足利幕府が京都に置かれていたため、朝廷・公家・上級武士の大半が京都に集まり、殆どの文化がそこで生まれ、発信地にもなっていたからです。室町時代の庭園も同様で、夢窓疎石が一部地方に造ったものを除き、当時の名庭と呼ばれる作品も京都に集中していました。だからこそ、大部分が応仁の乱で消失し、多大な被害を受けたからです。

応仁の乱後も戦乱が続き、京都とその周辺では、消失した名庭の再建、新庭の創建など不可能な状態で、戦国時代前期は日本庭園の不毛時代となってしまいました。では、同時代には日本中から庭園が姿を消し、新しいものが造られることはなかったのでしょうか。幸いなことに、そうではありません。

「戦国時代前期」は室町幕府(足利将軍)の威光が多少残っていた時代でもありました。従って、地方の名士でもあった守護職等の有力武士には、朝廷や将軍家に近づくと言う目的もあり、文化を受け継ぐと言う慣習が残っていてからです。だからこそ彼らは、東山文化を引き継ぐ、茶道、華道、能楽(当時は猿楽)、絵画、等を積極的に取り入れました。

庭園も同様で、当時の名士たちの館には様々な庭が造られ、その名残を今日に留めています。ただ、朝倉氏、北畠氏、朽木氏の庭園など優れた作品もありますが、全体的なレベルダウンは否めませんでした。主に京都にいたと推定される作庭集団(山水河原者)も、腕を振う場が極めて少なく、不毛な時を過ごしていたのではないでしょうか・・・

「戦国時代前期」の庭園の特色としては、武将庭園と言う表現に象徴されるように、豪壮な石組が最大の特色。ただ、地元の石、地形を活用して、適当に配置したと言った感覚の庭の方が多かったと思われます。

また、外構と言う視点では、唐門(弓を横にしたような「唐波風」がある門)と言われる元は中国風の門が流行する事も付記しておきます。門・塀の建築工法は、木造・土塀など大きな変化は見られません。ただ、このような門が多数登場するのは、戦国期からと見てよいのではないでしょうか。

ただし、「戦国時代後期(安土・桃山時代)」に入ると、織田信長、豊臣秀吉と言う巨星が、東山文化の伝統を受け継ぎながらも、より派手好みの文化(安土・桃山文化)を生み出します。庭園もまた同様で、特に、豊臣秀吉・徳川家康は、名庭の復活、新庭の作庭に熱心で、現在も最高峰として高い評価を受けている作品が、少数ではありますが、京都とその周辺を中心に造られまました。

その時、直接的な役割を果たしたのが、賢庭、小堀遠州、上田宗箇、などの作庭家であったのは言うまでもありません。ただ、彼等の主力作品は、贅を尽くした珠玉の名庭であることに間違いはありませんが、少しずつ形式主義に陥り、退化の第一歩が始まったようにも感じられます。筆者の私見ではありますが、夢窓疎石の作品等と比較すると、デザイン構成的なものは進歩していますが、精神的広がりがむしろ無くなったようにも感じます。

もう1点、「戦国時代後期」の庭園で見逃してはならない動きがあります。それは、「茶道」との関連性です。まず、塔頭(たっちゅう)寺院、貴族・豪族関連の建造物に、室町時代以降、茶室が多く造られるようになります。「戦国時代後期」になると、その茶室を意識した庭園も登場します。ただ、その後茶室専用の庭園・露地が多数登場するのは江戸時代からで、「戦国時代後期」はその前段階と見た方が良いでしょう。

また、「室町時代」からの、もう少し長いスパンで見ると、次第に庭園のパーソナル化が進んだと言う点も見逃せません。その切っ掛けとなったのが、枯山水の登場ではないでしょうか。

枯山水は限られた空間に造られる庭であるからです。「室町時代前期」には、まだ1つの敷地内に複数の庭園を造ると言った習慣は殆どありません(地形を活用し、2つのポイントに分かれた庭園はあったが)でした。しかし、枯山水の登場で、書院庭園のように部分的に視点を変えたスペースが登場したからです。

さらに、パーソナル化が次第に進み、戦国時代後期」になると、建物・目的に合わせ複数の庭園が造られることが珍しくなくなります。そして、その発展形が露地と言えるのではないでしょうか。さらに、江戸時代の主役となる大名庭園(全ての庭園形態・様式を取り込んだ、公共スペース的な総合ガーデン)へと変化していきます。

そこで本日の一口アドバイス。

「戦国前期=日本庭園受難時代~戦国後期=贅を尽くした珠玉作品登場!」

(りょう)

 

 

 

 

 

唐門(戦国時代以降に流行?)