みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,209

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・民主化と軍国主義が激突した「大正」?

この「日本庭園と日本外構」も最後の時代に突入しました。「大正・昭和」と言う時代です。まず「大正時代」ですが、ズバリ「民主主義」と「軍国主義」がぶつかり合った時代でした。しかし、私たちとってはその前の「明治時代」以上に馴染みの薄い時代ではないでしょうか? その理由は? 次の、大戦前の「昭和時代」と共に、歴史の隠ぺいがその背景にあるように思えてなりません。勿論、現在の日本は民主主義の国です。従って、何かを学ぼうとする時、目に見える弾圧と言うものはあまりありません。しかし、日本人特有の事無かれ主義に付け込み「目に見えにくい隠蔽工作」が行われている。この点がドイツとの決定的違い。筆者にはそう思えてなりません。それだけ、大正〜大戦以前の昭和と同じ過ちを繰り返す危険性がアップしている。そう感じられます。

だからこそ、この「日本庭園と日本外構」の基本テーマとは多少ズレますが、あえて、「大正時代」「大戦以前の昭和時代」について、少し詳しく提示しておきます。まずは、「大正時代」から・・・

「大正時代」とは1912〜1926年までの15年間を指します。明治天皇が崩御し、即刻大正天皇が即位。この時から「大正時代」がスタートし、前述した1926年に崩御した時点で「昭和時代」へと移行しました。ただし、大正天皇の晩年は病弱であったため、1921年以降は後の昭和天皇が摂政的な役割を果たします。従って、1912〜1921年を真の「大正時代」、1921〜1926年を摂政時代と分けることが出来るかもしれません。また、「明治時代」と共に「大正時代」・敗戦までの「昭和時代」は紛れもなく天皇制の時代ですが、傀儡的要素が強く、摂政性であろうと無かろうと、大きな相違ではないかもしれません。

引き続き、「大正時代」の主な動きを追いながら、その特性にスポットをあてて行きます。

「大正時代」がスタートした1912年には孫文らが主導した辛亥革命が終わり中華民国が成立。つまり、中国大陸でも皇帝政治が終わり民政体制に入ると言う大きな転機を迎えていたと言う事。さらに、2年後の1914年には第一次世界大戦(1914〜1918年)が勃発。つまり、帝国が次々と解体され、共和国が多数生まれた時期であったわけです。日本の近・現代史を語る上で、この流れは究めて重要。だから、良く覚えておいてください。

国内の動きを追うと、政党勢力が出揃い、大正デモクラシーと呼ばれる民主化運動が顕著になります。尾崎行雄・犬養毅らがその代表的存在で、それらの動きを反映し原内閣(1918〜1921年)が成立。しかし、人々が期待したほどの改革は行われず、むしろ日本の根底にある保守色(帝国思想)を崩すことは出来なかったと見て良いでしょう。さらに、1921年の昭和天皇(正確には天皇になる前で、皇太子・裕仁親王)摂政制スタート、関東大震災勃発(1923年)、普通選挙制度法成立(1925年)、などの動きを経て「昭和時代」へとバトンタッチする事に成ります。

つまり、「大正時代」は社会全般的には民主化が進み、人々の暮らしに明るく自由な雰囲気が定着しつつあったと言う事。平塚雷鳥・市川房枝らの女性の地位を向上させようと言う動きも活発化します。世界的な共和制への移行傾向も大きく影響したと観るべきでしょう。ただその一方で、米騒動・関東大震災と言った不穏な動きもありました。より重要な事は、日露戦争に端を発し、第一次大戦でさらに増大した大陸利権を拡大(日本は日英同盟を結んでいたため、棚ボタ的利益を得、強引に青島・山東省・南洋諸島の一部の支配権を得てる。しかし、この強引な手法がやがて中国・欧米・朝鮮半島との決定的支配~侵略状態を生み出す)させて行ったと言う点です。

そこで本日の一口アドバイス。

「民主化が進んだ大正時代。しかし、無理な大陸利権拡大がその流れに暗雲を!」

(りょう)

295:大正時代

 

 

 

 

 

 

 

大正天皇

 

295:関東大震災

 

 

 

 

 

東大震災