みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,222

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・大友宗麟と「瑞峯院」、そして庭園?

「重森三玲」作品。この項では「瑞峯院(ズイホウイン)庭園」を取り上げます。

「瑞峯院」は京都市北区紫野のある、臨済宗大徳寺派の寺院で、大徳寺の数多い塔頭の一つです。従って、大徳寺瑞峯院と表記されることもあります。

同寺は九州のキリシタン大名・大友宗麟が、彼が師と仰いだ大満国師・徹岫宗九(テッシュウソウキュウ)を開山に迎え自分の菩提寺として創建しました。同寺創建年については諸説ありますが、1500年代前半であることは目違い有りません。「瑞峯院」と言う寺名も宗麟の法名・隋峯院瑞峯宗麟居士によるもの。

「瑞峯院」は、本堂(室町時代の方丈建築を伝える貴重な存在)、表門、庫裏、茶室などの建造物とその関連の庭園・通路空間からなり、本堂と表門は創建時のものが保存され、重要文化財にも指定されています。茶室は3つあり「餘慶庵(ヨケイアン)」「安勝軒(アンショウケン)」の2つは表千家が造った後代のものです。3つ目の「平成待庵(ヘイセイジアン)」は千利休の「妙喜庵(ミョウキアン)」を復元したもので1089年(平成2年)に造られました。

「瑞峯院庭園」は、創建者・大友宗麟歿400年に際して1961年に造られた物。作庭者は「重森三玲」。同庭は全て方丈(本堂)周辺にあり、南庭=「独坐庭(ドクザテイ)」、中間の茶室・「餘慶庵」にセットされた「茶庭(路地)」、北庭=「閑眠庭(カンミンテイ)」、の3ヶ所に分かれており、記述の順番にその特性について述べて置きます。

南庭「独坐庭」は北条正面に位置する主庭で、大刈込と白砂・巨石で構成された枯山水。豪快な造りで百丈禅師の言葉「独坐大雄峰」(解釈例=一人座禅を組めば、高く雄大な峰のような心境に至る。ただし、解釈は様々)からこの名が付けられました。巨石が蓬莱山。それに連なる石組みが半島・小島。白砂が海。粗目の波紋が荒々しい波を表しています。ただ、男性的で豪快な心情をベースに、禅により得た形而上世界の心象映像と見たほうが、重森イズムにふさわしいように思えます。

中間点にある「餘慶庵路地」は、作庭当初は植栽を一切使わない、青石を一面にしきつめ、中央に立石を使った手水鉢を設置しただけと言う斬新なものでした。これもまた、青石をグリーンの心象的象徴としれ使った精神性の強い露地であった。そう解釈すべきではないでしょうか? ただ、近年改築され松・苔・飛び石というある意味平凡な露地に変貌しています。

さらにコーナーを曲がり、方丈の北側に達すると、北庭「閑眠庭」があります。この庭は大友宗麟の心情を形にした枯山水と言われています。だからこそ、その象徴としてキリシタン灯籠が使われ、そこから7つの石組が並び、これが十字架を形どっています。宗教の違いを超越した禅の奥深さ、それを許した大徳寺の懐の深さに敬意を表すべきではないでしょうか。なお同庭の名前は、「閑眠高臥して青山に対す」(静かに眠りにつこうとしている私には、何の未練もなく、心は非常に穏やかだ)と言う、悟りの境地に近い禅語から付けられたもの。

そこで本日の一口アドバイス。

「偲・大友宗麟+禅の境地? それを形而上的空間として描いた重森三玲?」

(みずき りょう)

308:入り口付近

 

 

 

 

「瑞峯院」入口付近

 

308:方丈玄関の門

 

 

 

 

 

 

 

方丈玄関への通路

 

308:独坐庭

 

 

 

 

 

「独坐庭」

 

308:独坐庭②

 

 

 

 

別角度からの「独坐庭」

 

308:茶室

 

 

 

 

茶室「餘慶庵」

 

308:露地

 

 

 

 

露地

 

308:閑眠庭

 

 

 

 

 

 

 

「閑眠庭」