みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,223

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「重森三玲庭園美術館」って何だ?

「重森三玲の作品を紹介中。この項からは、彼の晩年の作品2種をピックアップします。まずは、「重森三玲庭園美術館」から・・・

「重森三玲庭園美術館」は彼の旧宅を美術館として保存したもの。所在地は京都市左京区吉田上大路町34。ただ、いくら高名な作庭家とはいえ、昭和の人物の自宅が美術館になるとは不思議でもあります。でもそれには、理由があります。自宅自体が歴史的な建造物で、そこに「重森三玲庭園」がセットされたからです。具体的には、同家屋は享保(1716〜1735年)年間に造られた吉田神社の社家=鈴鹿家邸宅を譲り受けたもの。その建造物に合わせ彼が1970年に庭園を造りました。従って、自宅と言う条件であるため彼の個性が最も強く出された、晩年の秀作(「重森三玲」は1975年没)と言う事が出来るでしょう。

「重森三玲旧宅」は江戸時代・書院造の代表的建造物で、主屋、書院、をメイン建造物としていましたが、「重森」が茶席「無宇庵」(1953年)と茶席「好刻庵」(1969年)を増設しています。なお、主屋は正確な創建年は不明だが享保年間のもの、書院は1789年創建と伝えられています。庭園は1960年代に坪庭がまず作られました。その後、書院と茶席を結ぶ形の主庭が、前述のごとく1970年に作庭されました。つまり「重森三玲庭園美術館」は江戸時代の建造物+重森庭園が一体化された、歴史的・芸術的価値の高い作品と言う事が出来ます。

同主庭は中央に蓬莱(ホウライ)+東西に方丈(ホウジョウ)、瀛州(エイシュウ)、壷梁(コリョウ)の3島、つまり伝説の仙人が住む4島を配した枯山水庭園。当然の事ながら、方丈・茶席などの建物内部からの景観が重視され、じっくりと観賞する座式的特性も強く備えています。また、4仙島をメインとした構成は、他の作品を見てもわかる通り、「重森三玲」の最も得意とするものでもあります。ただ、その中でも立石を多用した石組は極めて豪壮で、雄大かつ男性的な作風を最も好んだのかもしれません。また、伝統的構成であっても、宗教観~それを超えた形而上空間=禅(哲学)的世界を絶えず意識していた。筆者にはそう思えてなりません。

そこで本日の一口アドバイス。

「重森三玲の個性が最も色濃く出た晩年の作品。それが、重森三玲庭園美術館?」

(みずき りょう)

309:坪庭と水屋

 

 

 

 

 

坪庭

 

309:書院と茶席

 

 

 

 

書院と茶席

 

309:書院

 

 

 

 

 

書院内部

 

309:茶席

 

 

 

 

 

茶席内部

 

309:茶席襖絵

 

 

 

 

 

茶席の襖絵

 

309:庭園全景

 

 

 

 

庭園前景

 

309:書院からの景観

 

 

 

 

 

 

 

書院からの景観①

 

309:書院からの景観②

 

 

 

 

 

書院からの景観②

 

309:茶席からの景観

 

 

 

 

 

茶席からの景観