みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,091

「納得!エクステリア講座」第24回・・・「和風」デザインの分類と特性②!

引き続き、「和風」デザインについて。今回は、室町時代〜現代に至る日本の庭園・建築・文化の変遷について・・・

<臨済禅・北山文化、そして夢窓疎石???>

前項で指摘したように、鎌倉時代、つまり武家の世になり、「武家造」と言う様式が登場します。しかし、それは「寝殿造」の亜流とも言うべき物でした。

ところが、室町時代になると、武家文化と貴族文化が再度融合し「北山文化」が登場します。その主役を果たしたのが足利義満(足利氏3代目将軍)であった事は言うまでもありません。ただし、「北山文化」が生まれる背景には、「臨済禅」の存在を見逃すわけには行きません。なぜなら、「禅」と言う精神的世界が、デザインに大きな影響を及ぼし、その結果登場したのが「書院造」であるからです。つまり、「禅」のよりシンプルな思考が影響し、一見簡素に見える様式が好まれるようになったと言う事。結果、世界で初めて、シンプルモダン系の建築物・庭が登場し、現代にまでその影響を及ぼしています。なお、「書院造」の進歩系として「数寄屋造」が登場しその後流行しますが、果たして、本当の進歩系か、極端に走り過ぎた退化かは、意見の分かれるところ・・・

また庭園に関しては、「北山文化」発祥前夜、「夢窓疎石」と言う高僧が、作庭に直接関与し、大きな進化を遂げました。あくまでも筆者の意見ですが、「夢窓疎石」の作品が<日本庭園の最高峰>で、その後はむしろ退化傾向にある。そう考えています。

興味をお持ちの方は、「夢窓疎石」の代表作「西芳寺(苔寺)」(京都)、「天龍寺」(京都)、「永保寺」(岐阜県多治見市)、「北山文化」を代表する「金閣寺」(京都)、等を参照してみて下さい。

その後「庭園」に関しては、より精神性を重んじた「枯山水」、よりスケールアップした「大名庭園」、「茶道」の影響でシンプルさをさらに突き詰めた「露地」など、様々なスタイルが出現。ただこれらは、同一線上にあるものではなく、例えば、「大名庭園」の場合は、重厚で大型の「池泉回遊式」が基本ですが、その一部として「枯山水」「露地」などが造られる場合が多く、<重複しながら定着していった>と考えるべきです。

さらに時代が下り、明治になると「小川治兵衛(7代目植治)」が登場し、近代日本庭園の道を開き、今も多くの秀作が残されています。ただし、彼の作品は確かにバランスがとれ優れたものですが、西欧文化・変化する建築に対しては、一定の乖離が見られる。それが彼の限界。筆者はそう考えています。

いずれにしても、室町時代以降の「和風」を語るうえで、「臨済禅」「夢窓疎石」「金閣寺(北山文化)」「書院造」「枯山水」「数寄屋造」「露地」「大名庭園」「小川治兵衛」と言ったキーワードを無視する事は出来ません。

そこで本日の一口アドバイス。

「日本になぜ、世界で初めてモダン系デザインが登場し進化を遂げて行ったのか?」

(みずき りょう)

 

24:夢窓疎石像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢窓疎石像・・・彼は鎌倉時代終盤〜室町時代草創期にかけて活躍した高僧。作庭家としても知られている。地形を活かし、かつ精神性の高い秀作を残しているが、むしろ形式にとらわれず、固定観念で縛られた日本庭園とは一線を画すものがある。

 

24:舎利殿

 

 

 

 

 

 

 

金閣寺(舎利殿)・・・「金閣寺」を代表する建物&景観。金閣寺は足利義満の居所「北山山荘」として整備され、「北山文化」の象徴となった。また、<その規模は御所に匹敵した>とも言われ、その寺院として整備され、現在に至っている。

 

24:小川治兵衛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小川治兵衛・・・第7代目植治。近代日本庭園の基礎を築いたとされる巨匠。池泉回遊式庭園が主力で、そのバランス感覚に優れたデザインには注目すべきものがある。ただ、あくまでも「日本庭園」の作庭家であり、より大きな世界へと足を踏み入れることは無かった。