みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,021

「世界のガーデン」 第一章:庭園のルーツ②

第2回:世界最古の庭園はペルシャから?

世界四大文明(中国黄河or 長江文明・インダス文明・メソポタミア文明・エジプト文明)を中心に<庭園ンのルーツ>を探りました。結果、インダス文明を除き(ただし、文字が解読されていないため詳細不明)を除き、既に庭園の痕跡がある事が分かりました。また、世界に散見される<巨石建造物(ストーンサークル、等)>も、庭園出現に影響を与えた可能性があります。

逆に言えば、少なくとも現段階(2019年5月)では、BC1,000年以前の<明確な庭園遺跡は発見されていない>と言う事。では、間違いなくこれが庭園遺跡と言えるものは? 全ての考古学的資料を網羅する事は不可能で、極めて難しい問題ですが、筆者の調査範囲では<ペルシャ文明に所属するものが最古>と推定されます。つまり、<世界最古の庭園は、メソポタミア文明の流れを汲むペルシャかその近辺で造られた>と言う事。

具体的には、アケメネス朝(BC550〜BC330年)最初の都で、キュロス2世が建設を開始したパサルガダエで明確な庭園遺跡が発掘されています。恐らくBC550〜500年頃のもので、驚くべきは<既に後のペルシャ庭園の基本となる「中心の池+十字の水路」と言う構成になっていたと言う事。従って、調査が進めば、中東でもう少し古い庭園遺跡が発見される可能性も残されています。

また、新アッシリア王国のアッシュルバニパル王が建造したニネヴェ宮殿北部の都市遺跡からは<庭園の浮彫>も発見されており、パサルダガエより古い庭園がBC650年頃に存在した可能性もあります。中東は砂漠エリアで、より水路が発達し、それが世界のどこよりも早く庭園造りへと発展した・・・そう考えるべきでしょう。

一方、中国で薬草園をベースとした庭園ルーツの記述が現れるのもBC800〜600年頃。ただ、場所・規模・形態などの明確な記録があるのはおそらく「上林苑」でしょう。同苑池は秦の始皇帝の流れを汲むもので、漢の武帝の頃に完成した模様。従って、BC250年頃から作り始められ、BC100年頃に完成したと推定されます。なぜそのような歳月を要したか疑問を感じる人もいるかもしれません。しかし「上林苑」のベースは一つの国ほどもあるお狩場。その中に少しづつ邸宅・随伴者用の施設・庭園などが整備されていったわけで、ある意味当然の事と言えます。

以上の状況を加味すると、<中東・中国方面で、BC800〜BC100年頃に本格的な庭園が出現した>と見てほぼ間違いないでしょう。ただし、その製作理由・形態は大きく異なっていたと言う次第。

2:パサルガダエ

 

 

 

 

明確なペルシャ式庭園遺跡が見つかったパサルガダエ。

2:キュロス2世墓

 

 

 

 

 

 

パサルガダエの建設を開始したキュロス2世墓。

2:庭園

 

 

 

 

 

アッシュバニパル遺跡で発見された庭園の浮彫(複写)。

2:上林苑

 

 

 

 

 

 

漢の武帝が完成させたと言われる「上林苑」のイメージイラスト。