みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,025

「世界のガーデン」 第三章:9ヶ所のペルシャ庭園②

第6回:「エラム庭園」とその魅力!

既に述べた通り、「ペルシャ式庭園」を知るには、9ヶ所の同世界遺産を観るのが最も合理的方法と言えます。従って、この「世界のガーデン」シリーズも9庭園を取り上げます。ただし、最も古く遺跡でもある「パサルガダエ」は紹介済みであるため、残りの8庭園を順次ピックアップ。まずは、「エラム庭園」から。

「エラム庭園」は9世界遺産の中でも最も有名で、イラン観光の目玉的存在でもあります。その理由として、建築物・庭園自体の魅力もありますが、所在地の魅力と言う点も見逃すべきでありません。

「エラム庭園」はイラン南西部の都市「シーラーズ」(「ファールス州」の州都)にあります。同市は人口約105万人の大都市で、そのルーツを辿れば約2,500前まで遡れると言います。つまり、「ペルシャ文明」発祥当時から存在したと言う事。加えて、「ササン朝ペルシャ」(1750〜1794年)の首都となるなど、数々の歴史の表舞台にも登場します。

加えて、「シーラーズ」は標高1,600mの高地にあるため、気候的にも恵まれており、そんな環境からか30以上の庭園が散在しています。つまり、ペルシャ・イスラム文明圏最大の庭園都市でもあるわけです。そして、言うまでもなくその最高峰と言えるのが「エラム庭園」。

「エラム庭園」が造られたのは「セルジューク朝」時代(1037〜1193年)とされています。となれば、「パサルガダエ」から1,500〜1,600年程後で、ペルシャと言うよりもイスラム系の王朝の作庭で、別物とも言えます。しかし、イスラム文化は民族もほぼ同じで、ペルシャから引き継がれた部分も非常に多く、庭園もまた同様であったことが分かります。ただし、「パルサガエ」〜「エラム庭園」までの間にどのような変遷があり、どの様な庭園造られたか、一般人が手にする資料で把握する事は極めて困難。従って、その間の庭園史を明らかにする事は、少なくとも現時点ではできません。

話を「エラム庭園」に戻します。同庭園はその後の王朝変遷とともに、何度か所有者が変わり、現在は「シーラーズ大学」の持ち物となっています。ただし、博物館としても一般公開されている為、より人々に親しまれている「ペルシャ式庭園」となっています。勿論、庭園様式も「ペルシャ式」と呼ぶにふさわしいもので、他の8ヶ所の庭と共に世界遺産にも指定されています。

なお、「エラム」とは<地上の楽園>と言う意味で、単なる庭を超えた理想空間を創造しようとしたものであったと解釈して良いでしょう。

シーラーズ

 

 

 

 

 

 

現在の庭園都市「シーラーズ」

 

エラム②

 

 

 

 

 

 

「エルム庭園」・・・中央に水路があり「ペルシャ式庭園」であることが分かる。

 

エラム①

 

 

 

 

 

 

 

 

建物付近・・・水を贅沢に使う。それが「地上の楽園」の必須条件であるのかも・・・

 

shira_54[1]

 

 

 

 

 

 

「エラム庭園」の平面略図