みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,025

「世界のガーデン」 第三章:9ヶ所のペルシャ式庭園③

第7回:「チェヘル・ソトゥーン庭園」!

世界遺産指定の「ペルシャ式庭園」。3番目に取り上げるのは「チェヘル・ソトゥーン庭園」。

「チェヘル・ソトゥーン庭園」は「サファヴィー朝」の「アッバース2世」(在位:1642〜1666年)により造られ、1674年に完成しました。従って、前出の「パサルガダエ庭園遺跡」からは2,000年以上、「エラム庭園」から見ても500年程後に造られた庭園(建造物)と言う事になります。従って、十字の水路+中央の池と言う基本構図からは少し変化していますが、中央部に水路がありそこを中心に理想郷(空間)を創造すると言う、ペルシャ〜イスラム系の作庭思想が引き継がれた建造物である事に変わりはありません。

同庭園は古都「エスファハーン」にあります。同市は現在のイランの首都「テヘラン」の南約340キロに位置し、現在も「エスファハーン州」の州都となっています。同市は元々交通の要所で、古くからヨーロッパ系民族・イスラム系民族・アジア系民族が入交り自然発生的に発展したようです。そこに、「アッバース1世」が目を付け、首都としさらに発展を遂げました。従って、元々あった旧市街と、「アッバース1世」以後に造られた新市街に分かれています。そして、新市街の象徴でもある「イマーム広場」は「チェヘル・ソトゥーン庭園」同様世界遺産に指定。「エスファハーン」は当然のことながら、美しい都市で<イランの真珠>とも呼ばれています。

また、「テヘラン」から遠く離れている為でしょうか、言葉の鉛が強くすぐ判別がつくとの事。日本の標準語(関東系)と関西弁との関係のようなものでしょうか。なお、我が国では同市を「イスファン」「イスファーン」などと表記する事も多く、聞き覚えのある方も・・・

「チェヘル・ソトゥーン庭園」に話を戻しましょう。名前の「チェヘル・ソトゥーン」とは<40本の柱>と言う意味で、宮殿(建物)は20本の柱で支えられており、これに池に写る20本の柱を加え(合計40本)この名前が付けられました。もし来園の機会があればご確認を!

なお、「チェヘル・ソトゥーン庭園(宮殿)」は現在は博物館になっており、容易に見学できる点も観光客等にとってはうれしい事実。そして、玉座が置かれた部屋の壁には、6枚の壁画が掲げられており、「サファヴィー朝」当時の宴・戦いなどが描かれています。当時の状況を今に伝える貴重な資料でもあり、ぜひ庭園と共にじっくり鑑賞を!

 

エスファハーン

 

 

 

 

 

 

州都「エスファハーン」の主要部分

 

チェヘル・ソトゥーン遠景

 

 

 

 

 

「チェヘル・ソトゥーン庭園」の全景・・・まさに砂漠の中の理想郷!

 

チェヘル・ソトゥーン②

 

 

 

 

 

 

正面から見た「チェヘル・ソトゥーン宮殿」

 

チェヘル・ソトゥーン庭園

 

 

 

 

 

 

宮殿を支える20本の柱・・・この繊細な美しさが、ペルシャ・イスラム様式の特徴