「木の文化」は、まだ生きている(飴村雄輔著) 連載第2回

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はじめに②

あくまで仲間内の狭い範囲ですが、木造建築を目指す有志の集まりや外構エクステリア業界の方々を対象に「木の性格とその使い方」等を伝える勉強会を行って参りました。これまでの勉強会では、まず木材を知ってもらう事と伝統軸組的な考え方にテーマを絞ってきました。

伝統的な軸組み工法とは木材の持つ長所を活用した原理になっており、当然ですが、今のような集成材ではなく無垢の木材を使うのが絶対条件になります。軸組みの考え方で部材から部材に力を伝えていくには、施した継ぎ手の伝達力は天然材で無いと有効に働きません。それが何百年も建物を持たせる免振伝統工法の特徴の一つになっているのです。

今の在来工法は軸組基本論から徐々に離れて行き、もはや別物の工法と言わざるを得ません。それをいずれ、建築関係の方々にきっちりと伝えないといけないという想いで仲間と勉強会を進めてきました。

そこで、これまでの勉強会に使った資料をもう一度整理する上で、その内容をまず仕分けて順次文章化する作業に取り掛かる事にしました。今後の勉強会での木材の使い方や組み方についての基本概論的に資料を創りたいと思ったのが始まりです。

それと木材の別の側面として、無垢木材を住空間に積極的に取り入れることの健康上の効能やその他の室内環境効果やについても伝えていきたいことが多々ありました。

起業して間もない頃でしたが、熱心にアレルギーの研究をしていた大学の先生と出会い、住環境が健康に及ぼす影響とその重要性を色々教えて頂いた経緯があり、その頃得た知識も含めて、木材が人体や精神へ働きかける効能だけでなく、住環境やとかく最近、話題にされる地球環境の自然環境問題全般にも少し拡げて触れてみました。

木材の使い方や木の普及方法については、それを加工技術や産業構造の問題として捉えて、その範囲内でいくら議論しても、結局、具体的な手段も答えも見えてきません。

むしろ、住まい方、すなわち歴史の中で「木の文化」を育んできた日本人の生活文化の在り方を見直す方が、そこに多くのヒントが見つかるような気がします。

代々受け継がれてきた生活の知恵を、次世代に当たり前のように繋いでいく事で「生活文化」を育んできた日本人が、いかなる時代も変わらず、森を敬い、樹を植え、育て、無理なく使い、森林を守る事で自然と共生する生き方を押し通してきた結果、人間社会を守ってきたのではないかと考えています。

したがって、一般の人にも木材をもっと使ってもらう面白さとその意義を伝える目的で、あえてこのような「木の文化」という大層な表題を掲げ、知るところを綴ってみました。

その分、気付けば中身が広範囲になってしまい論点が少し捉え辛いかもしれませんが、木材というあくまで自然の産物であり、明確な目的を持って意図的に生産された専用の商材ではないので、川上の林業事情から川下の住宅事情、貿易を含めた木材流通の問題、現代の生活文化の事情、等、広い分野の歴史にも実情に踏み込まないと「木材とは何か」「木をどう使えばいいか」という問題は容易に本質が探れないものだと考えています。

 

折しも、2025年に開催が決定した大阪万博のマインテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」ですが、サブテーマは何と「多様で心身ともに健康な生き方」と「持続可能な社会、経済システム」とあります。そして持続可能な開発目標(SDGs)を国連が大きく掲げています。必然的に、日本の数少ない天然資源であり環境型資材の代表である「木材」が注目され、木材の活用が未来循環社会へのキーワードのひとつにもなるはずです。

かつて伝統の木軸構造を教わった師である棟梁や、お世話になったアレルギー研究の先生も今や故人となってしまいました。自身も気が付けば年金をいただく年齢となり、今、時代の変遷を顧みながら、当時の彼らが心配していた通りの世の中に実際直面してしまい、林業の実態を知るにあたり不思議な焦りがわき出しました。

このような意見書が今後の木材の復権へのヒントになるかどうかわかりません。現代社会は高度な管理社会に向かっており、問題はおそらくもっと深いところにあります。それだけに、建築家のみなさんだけでなく、木材関係者、林業関係の人々含め学生や一般の人にも一度読み通していただき、一緒に考えて欲しいのです。

語彙力にも乏しく、言葉も適切ではないかも知れませんが、むしろ平易な表現が、かえって若い人や一般の人にも伝わる事を少し期待しています。

 

令和元年 5月  株式会社 木匠 飴村雄輔

 

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(写真はイメージです)