「木の文化」は、まだ生きている(飴村雄輔著) 連載第6回

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2:伝統建築の理論と在来工法の実態①

 

2-1 伝統的木造軸組み工法の考え方とその理論

本来の日本建築「木組技術」とは果たしてどのようなものだったのでしょう。

日本には数百年、いや千数百年に及ぶ伝統的な木造建築物がまさに歴然と各地に残っています。これらは長い歴史の中で、それこそ幾度も大地震や水害に遭っており、それを乗り越えてきた建物です。では何故それだけの耐震性、耐久性をもっていたのか?伝統工法とは一体どのような力学理論の上に成り立っているのか?まず、その検証をしてみる必要があります。

日本建築とは柱と梁を組み合わせたいわゆる「架構式構造」が基本ですが、寺社仏閣や古い民家等の作りや納まりをじっくり観察してみると、その構造と様式は、大変よく考えられていることがわかります。まさに伝統建築物は先人たちの知恵の宝庫です。

ある日突然、天才が現れてこの建築構法を発明したわけではありません。大工棟梁は、建物の耐久性に対する工夫と知恵を凝らし、何代にも渡り試行錯誤と失敗を繰り返した上に、あみ出した技法を後世に伝えながら、膨大な時をかけて洗練された技術を築き上げてきたと考えるべきです。これが伝統建築技術といわれるものです。元々は、日本にも古くから神社建築などに代表される建築様式はありましたが、6世紀ごろ仏教の伝来とともに大陸から寺院建築の原型が伝わり、それが全国に伝わっていったと思われます。

しかし大陸と違って日本は地震国であり、また台風の通り道でもあり、当初はその伝来した原型のまま建てたのでしょうが、その後天災で何度も傷つき倒壊したと思われます。その度に当時の大工は知恵を絞ったのです。結果、伝来してから数百年かけて日本独自の災害に強い構造体に仕上げていったと考えられます。

 

歴史上の戦いで焼け落ちたものや、地震で倒壊したとか、風水害で大損傷したというはっきりとした記録の残っている建造物の跡地も各地に多く残っています。結局、再建されないまま歴史の中で消えていった建物も多くあったようです。かつての大工棟梁は、天災で倒壊していく様子を肌で観察体験し、検証し、その度に、建築技術を改良させてきたのです。

そう考えれば、再建されたものも含めて、少なくとも現存している建築物は、その後何度も災害を乗り越えられるように造られた建築構造物とみるべきです。ですから耐えて現代まで残っている古い建物にはそれだけの理由があるはずです。これらを細かく観察することで、伝統の軸組理論の本質を理解できるのです。

その伝統的な木軸理論を紐解くにはまず、木材という素材の特性を良く知ることに戻らなければなりません。木材の力学的物性、素材特性がわかればわかるほど、木を知り尽くした先人達の知恵と技が納得できます。

 

伝統木造建築力学の基本的な考え方とは何だったのか、を考察して、気付き学んだ事をいくつか紹介してみます。木造軸組の建物がどのような構造物か簡単に表現すると、常に揺れている構造物であるということです。

木材は鉄や石とは違って柔らかい生物体の塊ですから、しっかりと組み上げても外圧を受けると微妙に揺れ振動しているのです。揺れることで外圧を吸収し、揺れながら全体でバランスを取りながら安定状態に戻ろうとする弾性構造物なのです。現代でいう免震構造になっているのです。

体に響くような振動ではないのですが、厳密には常にその柔らかい微妙な振動状態で建物が存在しているとイメージしてみてください。ただし、揺れながら元の安定状態に戻るのは、その復元力の根源となる力がなくてはなりません。その強い復元力を発揮する条件とは何なのか。

これには大きく分けて三つの要素があると考えられます。

第一に、まず柱や梁などの構造部の継ぎ手がつながっている部分に確実に力を伝えられる仕口形状になっていることが大前提です。継ぎ手が緩くて部材がお互い密着していなければ力が全体に伝わらず、折角の復元力を生かした木組が機能しません。凸凹で組み合わせる継ぎ手部分の加工は、お互い微妙にサイズを変え、入り込むほどに密着するように工夫されています。また要所には、打ち込み木栓なども有効に使って継ぎ手を絶えず締め付けています。

図-05木栓を使って締め付ける継手

 

 

 

 

 

 

 

木栓を使って締め付ける継ぎ手