みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,044

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第26回:「ベルサイユ宮殿」とその庭園①

 

「平面幾何学式(フランス式)庭園」で最初に取り上げるのはやはり「ベルサイユ宮殿」の庭。同形式庭園流行の元を創り、しかもそのスケールを上回るものは以後も登場しなかったからです。なお、この機会に「平面幾何学式庭園」の基本構成についてももう少し詳しく補足しておきます。

「ルイ14世」と「ベルサイユ宮殿」

「ベルサイユ宮殿」を創ったには「ルイ14世」です。そして、この宮殿を語るにはどうしても「ルイ14世」についての知識が必要です。彼のある意味特異な存在がこの宮殿を生み出したからです。

「ルイ14世」(生歿:1,638~1,715年 在位:1,643~1,715年)でまず注目すべきは、72年という在位の長さで、ヨーロッパ系の王では最長と言われています。彼はルイ13世の長男として生まれ、父の急死によりわずか4歳で「ブルボン朝」の3代目国王となります。当然のことながら就任当初は補佐役が国を実効運営していたわけで、特に宰相ジュール・マザランが著名。彼の力でフロンドの乱を鎮圧するなど、(臣下にめ恵まれ)ある意味ラッキーな面もあり、王朝の足元を強固なものとします。

1,661年になると「ルイ14世」の親政時代が始まり、中央集権制を敷いた重商主義(商いを推奨するなどして国を富ませる)政策を推進。さらには、各地の紛争を抑え、オランダとの戦いにも勝利するなどして勢力を拡大していきます。そして元々大きな力を持っていた「ブルボン朝」の最盛期を創出し絶対君主体制を確立します。要するに、長いヨーロッパの歴史の中でも<最強の王>であったという事。

その「ルイ14世」が心血を注いだ建造物が「ベルサイユ宮殿」であり、約20年の歳月をかけ1,682年頃に一応の完成を見ます(ただし、この後も改修は続く)。ただし、「ベルサイユ宮殿」の元を作ったのは父ルイ13世で、1,624年頃狩猟のための館として建てられました。また、1,768年にはルイ15世が小トリアノン宮殿を追加建設・1,837年ルイ・フィリップ王が戦いの間を開設・1,871年にはドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われる・1,919年の「ヴェルサイユ条約」(第1次世界大戦終結のための条約。「鏡の間」にて締結)締結場所となるなど、絶えず歴史舞台にも登場してきました。それだけ重要な建造物だと言えるでしょう。

これだけの権力を持った「ルイ14世」ではありますが、王族だけではなく貴族も住まわせた・庭園へは民衆の出入りも許したなど、人心掌握術も身に着けた王で、庶民にもかなり人気があったようです。ただし、5代下となる「ルイ16世」の美妻「マリー・アントワネット」は同宮殿で贅を尽くしかつ反革命派のリーダーであったとして(異説あり)、フランス革命で処刑されるという悲劇の主人公も生み出します。

ルイ14世

 

 

 

 

 

 

 

「ルイ14世」
宮殿

 

 

 

 

「ベルサイユ宮殿」全景

 

鏡の間

 

 

 

 

「鏡の間」・・・第1次世界大戦終結の場(「ベルサイユ条約」締結)になった

 

 

マリー・アントワネット

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリー・アントワネット」・・・フランス革命で処刑された悲劇の王妃