みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,046

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第28回:「ヴォール=ル=ヴィコント城庭園」

 

前項でも指摘した通り、「平面幾何学式(フランス式)庭園」の様式を確立したのは、「ベルサイユ宮殿」の作庭で見知られる「ル・ノートル」だとされています。従って、彼の他の作品から紹介していきます。まずは「ヴォール=ル=ヴィコント城」から。

「ヴォール=ル=ヴィコント城」はフランスのセーヌ県・マンシーと言う場所にあり、17世紀に建てられました。バロック様式の代表的な城としても良く知られています。築城者は「ルイ14世」の家臣で大蔵大臣とも言うべき立場にあった「ニコラ・フーケ」。建物は「ル・ヴォー」・庭園は「ル・ノートル」が担当し、両者とも当時最高の建築&造園家でもあったとされています。

特に、「ル・ノートル」が造った庭園は、バロック様式の流れを汲んだ最高傑作の1つ。特色としては、当時の主流派であった傾斜などの地形を巧みに利用した「露壇式(イタリア式)庭園」の作庭理論を大きく変化させ、フランスの環境に合わせた画期的大変革が行われた点にありました。

具体的には、寒冷で高湿度・平坦な地形と言う2点を最大限に活かした点が決定的相違となりました。従って、イタリア式よりはるかに広い庭園となり、しかもその広さを十分に活用するため、軸線(ビスタ)を設け、主要部から広くても全てが見渡せるレイアウトにしています。そして、池・水路などを有効に使いさらに噴水などのモニュメントで、全体バランスを整える事により平凡さを排除。また、植栽に使われる樹種・草花もフランスに適したものに変え、さらに幾何学状に刈り込んだグリーンゾーンを設けることで、庭園に潤いをもたらしています。

その他、カスケードと呼ばれる、建物のベランダ等のメイン鑑賞ポイントから人工の高低差を設け、広大な庭園の全てを見渡せる演出も、人々を驚嘆させる大きな要因となりました。

このように、「ヴォール=ル=ヴィコント城庭園」を詳細に見ていくと、まさに「平面幾何学式庭園」のベースが内包されたいたことが分かります。

しかし、歴史は皮肉なもので、城主の「ニコラ・フーケ」は「ヴォール=ル=ヴィコント城」があまりに見事な出来栄えであったため、「ルイ14世」の不興を買い没落。建設に従事した「ル・ヴォー」と「ル・ノートル」は、その後、「ルイ14世」の命により「ベルサイユ宮殿」の建設・作庭に従事する事となります。おそらく、「ルイ14世」の<何としても「ヴォール=ル=ヴィコント城」より素晴らしいものを創る>と言う意地が、ベルサイユ誕生の背景にあったという事でしょう。

そして、「ル・ノートル」は「ベルサイユ宮殿」の作庭で、「平面幾何学式庭園」と言う新しい庭園様式を確立し、ヨーロッパ全土の主流派となったばかりか、庭園史に燦然と輝くページを刻み込むことになります。

「ニコラ・フーケ」が「ヴォール=ル=ヴィコント城」を築城しなかったならば? その出来栄えが素晴らしいものでなかったならば? 「ベルサイユ宮殿」もまた別の姿に???

ヴォー=ル=ヴィコント庭園

 

 

 

 

「ヴォール=ル=ヴィコント城庭園」・・・「ベルサイユ宮殿」の前に造られた「ル・ノートル」作品。その素晴らしさゆえに数奇な運命を辿る。

 

 

ヴォー=ル=ヴィコント城

 

 

 

 

「ヴォール=ル=ヴィコント城」

 

 

県の位置

 

 

 

 

 

 

 

フランスのセーヌ県

 

県の紋章

 

 

 

 

 

 

 

セーヌ県の紋章