みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,047

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第29回:「サン=ジェルマン=アン=レー城庭園」

 

「ル・ノートル」の作品。「ベルサイユ宮殿」「ル=ヴィコント城」に続いて「サン=ジェルマン=アン=レー城」を紹介します。

「サン=ジェルマン=アン=レー城」はパリの西約19㎞にある(ミレーヌ県)王宮で、1,100年代前半にルイ6世により建設されました。また、1,230年にルイ9世により拡張され、城内にある「サント・シャペル(サン・ルイ教会)」も彼の時代のもので、長い歴史の中でも特に関係が深かった王の一人でした。

また、「サント・シャペル」はゴシック建築の中でも「レイヨナン式」(当時は巨大で豪壮な教会が主流であったが、フランスでは小規模だがその中で贅を尽くすと言ったものが好まれ、これを「レイヨナン式」と呼んだ)に分類され、その代表的建造物となっています。おそらく、ルイ9世には<どこにでもいる田舎者とは違う>と言ったプライドがあり、結果このような教会を創らせたのでしょう。

その後、1,346年に城は消失。しかし教会だけは残りました。この後、何度かの崩壊・再建を繰り返しましたが、「アンリ2世」(在位1,547~1,559年)が旧城横に新城を建設。これが現在の「サン=ジェルマン=アン=レー城」の原型となっています。また、新城は斜面上に建設され、3つのテラスから周囲の景観を楽しめるようになっていました。

興味深いことに、「ルイ14世」はこの「サン=ジェルマン=アン=レー城」で生まれました。そして、1,660年に城の城壁が崩れ、1,662年に修復を行うと同時に、庭園の全面改装も実施。そして、この庭園改装を担当したのが、このコーナーの主役「ル・ノートル」でした。

改装後の庭園は、立地条件(傾斜地)に伴い「露壇式(イタリア式)庭園」の特性を残しながらも、「平面幾何学式(フランス式)庭園」的な側面も兼ね備えることとなりました。広大である点・軸線を中心に左右対称の幾何学構成となっている点などが、その特性となっていたからです。ただし、現在の「サン=ジェルマン=アン=レー城庭園」が、改装時の様相をどこまでとどめているのかは、当時の図面・イラスト等(現存しているか否か不明だが)と比較しない限り良くわかりません。

年代順に追えば「サン=ジェルマン=アン=レー城」の造園で庭に新しい(フランス的な)様式が組み込まれ、「ヴォール=ル=ヴィコント城」の庭で進化。そして、「ベルサイユ宮殿」で「平面幾何学式」と言う新たな様式が確立されたと言えるでしょう。その変遷に立ち会い、主役となったのが言う間までもなく「ル・ノートル」でした。ただし、その背景には絶えず「ルイ14世」が存在していたわけで、2人のコンビがヨーロッパで最も多く造られ、かつ最も多くの歴史遺産となった庭園を残す基礎を築き上げたと言えます。

また、「平面幾何学式庭園」は現代の公園などの設計にも多大なる影響を及ぼしました。極端な表現をすれば、公園主要部のバラ園・庭園スペースなどの殆どの構成・デザインがその影響を受けていると言っても過言ではないでしょう。

サン=ジェyルマン=アン=レー城

 

 

 

 

 

「サン=ジェルマン=アン=レー城」の全景

 

庭園

 

 

 

 

広大な庭園

 

庭園②

 

 

 

 

庭園主要部

 

中庭

 

 

 

 

 

 

 

中庭

 

サント・シャペル

 

 

 

 

 

 

「サント・シャペル」・・・ルイ9世当時の唯一残された建物。「レイヨナン式」の代表的建造物でもある

 

改装前

 

 

 

 

「ルイ14世」が改装を行う前の庭園(イラスト)

 

スケッチ・テラスから

 

 

 

最上階のテラスから見た風景(イラスト)

 

駅

 

 

 

 

城とサン=ジェルマン=アン=レー駅