みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,053

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第35回:「サヴォイア家」の王宮と庭園

 

「ル・ノートル」作品紹介は今回が最後となります。そして、ここで取り上げるのはフランスではなくイタリアの<「サヴォイア家」の王宮とその庭園>。

<「サヴォイア家」の王宮と庭園>はイタリア・プエモンテ州内の都市「トリノ」(イタリア北西部・人口約87万人)にあり、昔からフランスとのかかわりが深い地域でもありました。

まず、「トリノ」と「サヴォイア家」の歴史について簡単に確認しておきます。「トリノ」は「タウリニー」と呼ばれる民族が居住していましたが、古代ローマ時代にその共和国領となり「カストラ・タウリノールム」と命名。つまり、「トリノ」と言う都市名は「タウリーニ」と言う民族名に由来すると言う事。

そして、1,536~1,562年の間フランスが同地を支配。その関係で、ピエモンテ(イタリア。古い時代の地名。「プエモンテ」と言う州名もここから付けられた)~フランス語圏スイスエリアの貴族「サヴォイア家」が同地を支配することになります。その後、1,706年にスペインと争った「トリノの戦い」でも「サヴォイア家」が勝利し、勢力圏をさらに拡大。1,720年にはイタリア最大の勢力を誇った「ハプスブルク家」との交渉で、シチリア島とサルデーニャ島を交換。こうして、「サルデーニャ王」となります。さらに、イタリア統一運動も主導しそれを成し遂げた段階で「イタリア国王」に。

このように、「ルネッサンス時代」以後「サヴォイア家」は、当時のフランスとも深い関係を持つ、イタリア屈指の名家となります。その結果として、「トリノ」とその周辺にも、王宮・宮殿など多くの文化遺産を残し、現在も同エリア屈指の観光地にもなっています。

<「サヴォイア家」の王宮と庭園>もその代表的遺産の1つで、「トリノ」中心部にある「カステッロ広場」に面して16~17世紀かけて建造。その間には「トリノ」の都市計画を手掛けた「アスカニオ・ヴィトッツィ」も設計・建築に参画(1,584~1,596年頃)。さらに、1,658年に建築家「カルロ・モレッロ」により一応の完成を見ます。ただし、その後も改修・増築が行われ、現在の形となったのは18世紀になってからの事と伝えられています。

庭園に関しては、「ベルサイユ宮殿」等でお馴染みの「ル・ノートル」(1,613~1,700年)が、1,697年に作庭しました。彼の生没年代からして最晩年の作品と言えるでしょう。

作庭依頼者は「カルロ・エマニエレ2世」で、この庭園最大の特色は、上下2つのセクションに分かれている事。また、左右対称形になっており「ル・ノートル」が創り出した基本構成が使われています。

さらに、改修工事はその後も行われ、かつ新しい彫像も設置されるなど進化を続け、「ル・ノートル」+現代感覚がミックスされた素晴らしい憩いの場として多くの人に親しまれています。

 

サヴォイア家・王宮

 

 

 

 

 

 

 

 

「サヴォイア家」の王宮・・・「カステッロ広場」に面して造られている。

 

トリノ・紋章

 

 

 

 

 

 

 

「トリノ」の紋章

 

サヴォイア家・紋章

 

 

 

 

 

 

 

「サヴォイア家」の紋章

 

 

サン・カルロ広場

 

 

 

 

「カステッロ広場」

 

 

内部

 

 

 

 

 

王宮内部・・・まさに豪華絢爛

 

庭園②

 

 

 

 

「王宮庭園」・・・「ル・ノートル」の作庭

 

庭園

 

 

 

 

「王宮庭園」・・・彫像がいつごろ造られたかは不明