みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,058

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第40回:「シャンポール城」と復元庭園

 

「平面幾何学式(フランス式)庭園」・・・今回は「ロワール渓谷」にある「シャンポール城」とその復元庭園を取り上げます。

まず、「シャンポール城」のある「ロワール渓谷」の説明から。同渓谷は「ロワール川」流域にあり、「アンボワーズ」「アンジェ」「ブロア」「モンソロー」「オルレアン」「トゥール」などの歴史上の重要都市も多数あります。加えて、古城・宮殿なども多く、フランス史に絶えず登場するエリアでもあります。つまり、「シャンポール城」もそれだけ由緒ある歴史的建造物であると言う事。なお、現代フランス語もこの地方から生まれたとされています。

「シャンポール城」の創建当初の建築主は「フランソワ1世」(在位1,515~1,547年・ルネサンス時代を代表する国王の1人)。古典イタリアとフランス中世の特性を兼ね備えた城と言われ、<フレンチ・ルネサンス様式>と言う表現が良く使われますが、それも納得。特に、全体レイアウト・華麗な屋根の形状・二重螺旋階段などは、珠玉の作品として高く評価されています。

同城は「ドメニコ・ダ・コルトナ」と言う建築家が設計したものですが、建設途中の1,519~1,547年に大きな変更があったとも。また、「レオナルド・ダヴィンチ」は「フランソワ1世」の客人で、城の近くに住んでいました。従って、設計に関与したとも言われています。果たして、途中での設計変更と関係があったのか?

「シャンポール城」は、城とはいっても防御中心のものではありませんでした。従って、宮殿的要素が強かったとも言えます。そのような関係からか、約53万㎢と言う広大な敷地を持ち、庭園作成にも有利な条件となりました。ただ、長らく荒れ放題の状態が続き、実は2,017年に短期間で復元されたものです。復元に関しては、古い資料を綿密に研究し、それに伴いハイスピードで実施。それだけに伝統的「平面幾何学式(フランス式)庭園」となっています。ただ、時代考証からして「フランソワ1世」当時の構成とは考えられません。

復元庭園には、600本の高木・800本の低木・200本のバラなどが植栽され、緑豊かな空間を演出。また、芝生エリアの面積だけでも約19万㎡に及ぶ広大なものです。

「シャンポール城」はこれだけ素晴らしい建造物でありながら、「フランソワ1世」自体は、全て合わせても7週間しか滞在していないと伝えられています。また、その後約80年の間放置状態であったとも。しかし、「ルイ14世」(在位1,643~1,715年)時代になると大改修が行われ復活。にもかかわらず、1,685年以降は再放棄。その後も復活・放棄が繰り返されます。

そして、1,981年には世界遺産に「シャンポール城の城と領地」として登録され、前述のごとく2,016~2,017年にかけて庭園も復元。こうして、「ロワール渓谷」屈指の観光地として原罪は人気を集めています。

フランソワ1世

 

 

 

 

 

 

 

「フランソワ1世」の肖像画

 

 

シャンポール城

 

 

 

 

 

 

 

「シャンポール城」全景

 

 

庭園 城から見た「平面幾何学式庭園」

 

屋根・華麗な装飾

 

 

 

華麗な屋根部

 

螺旋階段

 

 

 

 

 

 

 

二重螺旋階段

 

フランソワ1世の紋章サラマンダー(火トカゲ)。多くの部屋の天井飾りに見られる。

 

 

 

 

 

 

 

フランソワ1世の紋章サラマンダー(火トカゲ)。多くの部屋の天井飾りに見られる。

 

平面図

 

 

 

 

 

平面図

 

航空写真

 

 

 

 

 

 

「シャンポール城」の航空写真