みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,061

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第43回:「シャルロッテンブルク宮殿」とその庭園

 

「平面幾何学式(フランス式)庭園」を紹介中。今回からは、フランス以外の同系庭園を取り上げます。まずはドイツの「シャルロッテンブルク宮殿」とその庭園から・・・

「シャルロッテンブルク宮殿」とは、昔のドイツにあった「プロイセン国」の宮殿で、現在のベルリン内に位置します。

「プロイセン国」とは、「ホーエンツォレルン家」と言う一族が君主となり統治した国の事で、ドイツ北部~ポーランド西部が主な領地でした。「プロイセン」と言う名称はプルーセンと言う古い地名が語源となっており、ドイツ騎士団が同エリアを征服し、1,224年に彼等が創った国「ドイツ騎士団国」がその基となりました。その後、1,525年に国名が「プロイセン公国」となり、その後「ホーエンツォレルン家」一族が王位につくようになり「プロイセン国」と呼ばれるようになります。

初代王「フリードリヒ1世」が戴冠したのは1,701年で、9代王「ヴィルヘルム2世」(ドイツ皇帝も兼任)が退位するまで続いており、同国は1,701~1,918年の217年間存在していたことになります。

この項の主題となる「シャルロッテンブルク宮殿」は初代王「フリードリヒ1世」が彼の正妻(王妃)「ソフィー・シャルロッテ」のために1,699年に建設したもので、正確には初代王「フリードリヒ1世」となる2年前で、完成後に王宮となったと言う事になります。ただ、創建当初から巨大な宮殿であったわけではなく、歴代王が増改築を繰り返し、結果現在のような長さが500mにも及ぶ規模となりました。しかしその後、第二次世界大戦時(1,943年)の空襲で大きな被害を受けます。つまり、現在我々が見る「シャルロッテンブルク宮殿」は修復後の姿と言う事になります。

「シャルロッテンブルク宮殿」は世界遺産にも指定されており、西側は戦士博物館・東側は工芸博物館・道を隔てた別館は古代博物館(エジプト「ネフェルティティ」の彫像で有名)となっており、誰でも見学できます。なお、場内では多数の陶磁器が壁にはめ込まれた「陶磁器の部屋」・屋外では見事に整備された庭園も大きな魅力となっています。

プロイセンの国旗

 

 

 

 

「プロイセン国」の国旗

 

 

プロイセンの国章

 

 

 

 

 

 

 

「プロイセン国」の国章

 

 

フリードリッヒ1世

 

 

 

 

 

 

 

初代王「フリードリヒ1世」の肖像画

 

 

シャルロッテンブルク宮殿の庭園

 

 

 

 

広大な「平面幾何学式庭園」

 

シャルロッテンブルク宮殿

 

 

 

 

 

 

 

「シャルロッテンブルク宮殿」全景

 

 

正面

 

 

 

 

 

 

「シャルロッテンブルク宮殿」正面

 

磁器の間

 

 

 

 

 

 

「陶磁器の部屋」