みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,064

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第46回:「ヘレンキームゼー城」とその庭園

 

ドイツの「平面幾何学式(フランス式)庭園」を紹介中。この項では「ヘレンキームゼー城」とその庭園を取り上げます。

「ヘレンキームゼー城」はドイツ南部で面積が同国最大のバイエルン州にあります。しかも、同州でも最南端に近い「キーム湖」の島「キームゼー島」に建造されたため、隣国オーストリアと数々の因縁を持つ城でもありました。

城を建設したのは第4代バイエルン王「ルートヴィヒ2世」(在位1,864~1,886年)で<建築と音楽に対する浪費を重ねた狂王>と言う不名誉な呼称で知られています。ただ、その分芸術等には造詣が深く、多くの文化遺産を残しました。勿論「ヘレンキームゼー城」とその庭園もその代表作の一つ。

「ヘレンキームゼー城」は前述のごとく湖に浮かぶ島(キームゼー島)をすべて買い取りそこに建設されました。しかも、城・庭園共に「ベルサイユ宮殿」を模して造られました。それだけでも、規模の大きさ・投入された莫大な費用等を想像する事が出来ます。加えて、「ベルサイユ宮殿」建設後約200年の月日が経過しており、その間の技術革新により<ベルサイユをしのぐ部分もある>と言う評価もあります。

例えば、「ヘレンキームゼー城」内でも最も豪華な「鏡の間」も「ベルサイユ宮殿」を模倣したものですが、それよりも天井が高く8mに達しています。また、「鏡の間」の天井には「ルートヴィヒ2世」が尊敬していた「ルイ14世」(「ベルサイユ宮殿」の建造者)の25にも及ぶ壁画が描かれています。

ただ、同城は1,878~1,886年にかけて建設されましたが、ここで工事が中断しています。「ルートヴィヒ2世」が死去したからで、完成すれば部屋数が70となるはずでしたが、現存するのは20室のみで、残りの50室は未完のまま。果たして、同国に取りそれが不幸であったのか幸いしたのか・・・

同城の庭園も「ベルサイユ宮殿」を真似て造られました。従って、古典的な平面幾何学様式ではあるが、「ルートヴィヒ2世」の好みであったロマン主義的な要素も多数含まれています。この庭園の造営の総指揮者は「カール・フォン・エフナー」と言う人物で、中央の軸線を起点としており、そこから左右対称の大空間が広がる計画でした。また、中央部には巨大な池とその中に大噴水が配されました。しかし、その周辺に関しては城本体同様、「ルートヴィヒ2世」の死と共に工事が中止され、現在も軸線部分だけの庭園となっています。

なお、「ルートヴィヒ2世」は狂王の名にふさわしく(?)、「ヘレンキームゼー城」以外にも「ノイシュヴァンシュタイン城」や「バイロト祝祭劇場」などを残し、「バイロト祝祭劇場」は今も世界中の音楽愛好家憧れの場となっています。

航空写真

 

 

 

 

 

 

 

「ヘレンキームゼー城」の航空写真

 

庭園より

 

 

 

 

 

 

庭園から城を臨む

 

噴水

 

 

 

 

噴水と城

 

 

ヘレンキームゼー城

 

 

 

城の全景

 

 

鏡の間

 

 

 

 

 

鏡の間

 

 

外装

 

 

 

 

 

城の外装

 

 

キーム湖

 

 

 

 

キーム湖

 

バイエルン州

 

 

 

 

 

 

 

バイエルン州の位置

 

 

バイエルン州紋章

 

 

 

 

バイエルン州の紋章