「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」
第47回:「ツヴィンガー宮殿」とその庭園
ドイツの「平面幾何学式(フランス式)」の流れを汲む庭園を紹介中。今回は「ツヴィンガー宮殿」とその庭を紹介します。
「ツヴィンガー宮殿」はドイツのザクセン州の州都「ドレスデン」にあり、その建物は有名な「ドレスデン美術館」の構成物としても知られています。
「ツヴィンガー宮殿」の歴史を辿ると、中世から近代にかけて同地を支配してきた「ザクセン公国」の王の一人「フリードリッヒ・アウグスト1世」(在位1,694~1,733年、ただし、彼はポーランド・リトアニア王でもあった)により建造されました。
「ツヴィンガー宮殿」の原型は12世紀に既に築かれておおり、その後改修・拡張工事も随時行われています。しかし、それまで建物は木造で、1,687~1,689にかけて外遊を続けた「フリードリッヒ・アウグスト1世」は「ザクセン王」の住処にはそぐわないと考え、石造りに建て替え庭園にも手を入れ、それが現在の「ツヴィンガー宮殿」へと繋がっています。
宮殿建造の経緯を辿ると、1,709年に建て替え計画がスタート。1,711年建築開始。1,719年落成とほぼ10年の時が費やされています。また、その後も随時手が加えられ、実際に完成したのは1,728年頃とされています。また、1,733年に先代を引き継いだ「フリードリッヒ・アウグスト2世」も近くを流れるエルベ川側に「ホフ協会」を建てるなど、同宮殿建築群の充実化に尽力しました。
1,800年代に入っても宮殿は手を加えられ、美術品の収集場所としても使われるようになります。また、1,869年には「センパーオーパー」の愛称で知られる歌劇場も建設。しかし、このように進化を遂げてきた「ツヴィンガー宮殿」も第二次世界大戦下の1,948年に爆撃により焼失してしまいます。
ただし、大戦終了後間もない1,951年から中庭の公開を機会に補修が始まり、1,963年にはほぼ元の姿を取り戻します。そして、現在は前述のごとく「ドレスデン美術館」の一部にもなり、貴重な歴史的建造物として多くの人が訪れるようになっています。
また、「ツヴィンガー宮殿」は「マイセン」の焼き物も展示されるなど、陶芸に関しても重要な役割を果たしていたことが縁で、伊万里・有田焼で知られる佐賀県西松浦郡有田町に「有田ポーセリンクパーク・ツヴィンガー宮殿アートギャラリー」が造られ、その外形の一部を再現。また、内部では焼き物の展示も行われています。
ドレスデンの紋章
「ツヴィンガー宮殿」の中庭
「ツヴィンガー宮殿」は「ドレスデン美術館」内の「アルテ・マイスター絵画館」としても使われている
爆撃により焼失した「ツヴィンガー宮殿」
「「フリードリッヒ・アウグスト1世」の肖像画
「ドレスデン美術館」
「ドレスデン」の市街図(1,750年)
有田にある「有田ポーセリンクパーク・ツヴィンガー宮殿アートギャラリー」
「有田ポーセリンクパーク・ツヴィンガー宮殿アートギャラリー」内部