みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,070

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第53回:「ハンプトン・コート宮殿」&庭園

 

今回からはイギリスの「平面幾何学式(フランス式)庭園」を取り上げます。こう書くと<イギリスと言えば「風景式(イギリス式)庭園」ではないのかと疑問を呈する方もおられるかもしれません。しかし、同様式の庭が登場するのはもう少し後。従って、古い宮殿(庭園)の場合は「平面幾何学式(フランス式)庭園」またはそのアレンジ系の作品が一般的。

この項で取り上げるのはイギリスを代表する宮殿と言っても過言ではない「ハンプトン・コート宮殿」とその庭園。同宮殿は、ロンドンの南西部リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン特別区にある旧王宮。現在は主要な観光地の一つとして一般公開されており、世界的に有名な「ハンプトン・コート宮殿フラワー・ショー」の会場にもなっています。

同地を開拓したのは聖ヨハネ騎士団で、1,236以降荘園として同地を支配していました。その後、「ヘンリー家」がイングランドの統治者となり、「ヘンリー8世」(在位1,509~1,547年)が各地に49もの宮殿を建造。それらの建物は全て消失しましたが、その1つが「ハンプトン・コート宮殿」の元となったとの事。

その後、1,600年代中・後半になると、「ウィリアム3世」「メアリー2世」共同統治時代には大改装が行われるようになり、新しい両翼を増築。さらに、1,689~1,694年にはテューダー様式部の多くが建造されました。また、同じ頃に庭園もオランダの作庭家「ダニエル・マロ」と言う人物により大改装されたと言う記録が残っています。従って、現庭園のベースもこの頃に出来上がったと見るべきでしょう。

また、「ハンプトン・コート宮殿」には「迷路園」と呼ばれる著名な庭が存在します。同庭は1,689~1,695年いずれかの年に造られました。「ウィリアム3世」(在位1,650~1,702年)の為に作庭されたもので、その規模は243,000㎡に及び、数多くのパーツに分かれていました。

なお、ユーモア小説家の「ジェローム・K・ジェローム」(1,859~1,927年)は著書の中で以下のような言葉を残しています。

<「まあ行ってみよう。そうすれば話題にできるからな。しかし実に単純なものだ。迷路と呼ぶのもふさわしくないほどだ。右に曲がり続けるといい。10分ほど歩けば出られるだろうから昼食でも食べよう」。でもその後「我々はありがたいことに、すでに2マイルは歩いているよ」>と。でもこの言葉はかなり誇張されており、彼の時代の迷路は出るのに苦労するほどでもなかったとの事。

ただし、「迷路園」今も健在。大きく精巧な迷路が数多く存在し、分岐点が3箇所新しく導入さ、迷路の中を迷い歩く可能性が増えているとの事。興味ある方はイギリスを訪れた時に直接ご確認を!

ハンプトン・コート宮殿メインゲート

 

 

 

 

 

 

 

「ハンプトン・コート宮殿」の正面ゲート

 

ハンプトン・コートの俯瞰図1708年

 

 

 

 

 

1,708年作成の俯瞰図

 

外苑から内苑への入り口に建つ時計塔

 

 

 

 

 

 

 

 

外苑~内を結ぶ建物とゲート

 

クリストファー・レンのデザインによるメアリー女王の寝室

 

 

 

 

 

 

 

建物内部・・・メアリー女王の寝室(建築家:「クリストファー・レン」設計・デザイン)

 

西のファサード

 

 

 

 

 

西側のファサード

 

東のファサードと庭園

 

 

 

 

 

 

 

東のファサードと庭園(建物は「クリストファー・レン」設計)

 

プリヴィ・ガーデン

 

 

 

 

ガーデンの主要部:「プリヴィ(特別な)・ガーデン」

 

庭園①

 

 

 

 

 

幾何学的な刈込が施された迷路園①

 

庭園②

 

 

 

 

 

幾何学的な刈込が施された迷路園②

 

中庭

 

 

 

 

 

中庭

 

ウェールズのドラゴン

 

 

 

 

 

 

 

「ウェールズのドラゴン」と呼ばれるモニュメント

 

 

クリストファー・レン

 

 

 

 

 

 

 

「ハンプトン・コート宮殿」の建造に携わった主要な建築家「クリストファー・レン」