「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,646
「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・「日本庭園」と「池」との関係?
「日本庭園」の基本構成について検証中です。「築山(つきやま)」「石組」に続いては「池」を取り上げます。
「日本庭園」に限らず、「池」または「水」は世界の庭園全てと密接な関係を持っています。「ペルシャ式庭園」及びその流れを引く庭園は水路・噴水をメインに構成されています。イタリアを中心に発展した「露段式庭園」、フランスを中心にした「平面幾何学式庭園」もカナル(水路)が重要な役割を果たしています。イギリスで発達した「風形式庭園」や「モネの庭」も「池」の存在が欠かせません。
ただ、同じく「池」と「水」を重要視する「中国式庭園」「日本庭園」とは少し「池」に対する発想が異なります。西欧・西アジアの場合は水を操る(「風景式庭園」「モネの庭」は少し違うが)力の表現的要素が強い。しかし「中国・日本庭園」はむしろ治水的要素で池が作られ、その「池」の廻りを整備することで庭園が生まれたからです。
つまり「池」が先行し「中国式庭園」「日本庭園」が生まれたと解釈すべきでしょう。従って、古い「日本庭園」ほど、庭園全体の面積に占める「池」の比率が大きくなります。むしろ、バランスを考えると「池」が大きすぎると言う傾向にあります。「寝殿造の庭園」「浄土式庭園」「室町時代の庭園」「大名式庭園」までこの傾向は続きます。
ただ、明治・大正期以降になると、庭園全体のバランスを考えた構成が目立つようになり、必要以上に大きな「池」があまり見られなくなります。これはデザイン・構成上では進歩と言えるでしょう。ただ、「池」を単なる庭園の構成物と考えること自体は、「中国式庭園」「日本庭園」の歴史を考えると、一概に正解とも言えません。アンバランス、必要以上に大きいこと自体に意味があるのかもしれません。
また、「池」とそれに伴う「水路」は「中国式庭園」「日本庭園」にとり単なる観賞物ではありません。曲水の宴に代表されるように、遊び(古くは公的行事でもあった)の要素を含んだ、アクティブな活動場所でもあったわけです。
「日本庭園」で面白いのは、室町時代以降は必ずしも水がある所だけを「池」と考えなくなったと言うことです。これは、臨済禅や中国の特殊な風景(山水画を含む)の影響と考えて良いでしょう。「枯山水」がその象徴的存在です。同系の庭で白い砂利敷きの部分を「池」のイメージに限定することは出来ません。ただ、水の無い「池」が発想の原点となっていることは間違いありません。
また、「枯池」(「枯山水」との線引きは難しい)もまた「池」であることに変わりはありません。ただ、古い「枯池」(水路も含む)の場合は、時間の経過と共に水がなくなってしまったものが多く、意識的にそれが造られるようになったのは、比較的新しい時代からと思われます。しかし、結果であろうと、最初から意識した物であろうと、それを庭園技法として楽しんでいるのは事実。面白い思考と言えます。
そこで本日のひとくちアドバイス。
「単なる構成物を越えた日本庭園の池! 大きすぎるスペース自体にも意味が・・・」
(りょう)
日本庭園の池:鳳凰堂(彼岸にある浄土)
近年の日本庭園の池:足立美術館
枯山水:大徳寺
枯池