みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,082


「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」


第65回:「キュー・ガーデンズ」とは?

「風景式(イギリス式)庭園」を紹介中。今回は「キュー・ガーデンズ」を取り上げます。

「キュー・ガーデンズ」 は首都ロンドン南西部にある王立の植物園とその付帯設備の総称です。ただ、単に植物園と言うだけではなく、世界有数の植物に関するサンプル・資料を揃えた施設でもあり、2,021年の時点で700万点に及ぶとされ、植物研究施設としても広く知られています。また、このような役割が評価され2,003年にはユネスコの世界遺産にも指定されています。

「キュー・ガーデンズ」 は、ロンドンとリッチモンドの中間の位置にあり、植物学に関する文献も多数発行してきました。「カーティス・ボルタニカ・マガジン」はその代表作品の1つで、現在も継続発行中。「熱帯東アフリカ植物誌」はウガンダ・ケニア・タンザニア地域の植物を網羅したもので、1,948~2,012までの歳月を費やした大著で、263巻に12,100種を網羅。

また近年は、主に東南アジアの植物を対象に「ライデン植物園」(オランダ最古の植物園)と提携し、WEB情報を公開するなど先進的な活動も行っています。

歴史を辿ると、「ケープル」と言う貴族が熱帯植物を集めた庭を造ったことが発端となり、その後「ジョージ2世」(イギリス王、在位1,722~1,760年)の長男「フレデリック皇太子」の未亡人「オーガスタ」により拡張(建物等が追加された)され、その時の建造物「グレート・パゴダ」(1,761年)はなどは現在も同ガーデンの貴重な建物として高い評価を受けています。

その後も「ジョージ3世」(イギリス王、在位1,760~1,820年)が隣接していた「ダッチ・ハウス」を1,781年に購入し、王室の子供を育てる施設(現在の「キュー宮殿」)とする、1,840年に庭園を植物園に改修し同部を30ヘクタールにまで拡張(全体の敷地は120ヘクタールとなる)するなど、進化を遂げてきました。

また、 「キュー・ガーデンズ」 の歴史は大英帝国の歴史とも重なり、多くの植民地に対する農場経営とも密接なかかわりを持っていました。スリランカ・インドなどでの茶の生産(中国原産)、マレー半島での天然ゴム生産(アマゾン川流域原産)、インドでのキニーネ生産(マラリアの特効薬、南米ペルー原産)などがその代表的なもの。

また、 「キュー・ガーデンズ」 は日本とのつながりも深く、ジャパニーズ・ゲートウェイと言う、日本の古い建物と庭をイメージしたコーナーも併設しています。そこには古民家風(ミンカ・ハウス)なども設置(写真参照)されており、多くの日本人が訪れる観光名所でもあります。


「キュー・ガーデンズ」 全景(左部分)


「キュー・ガーデンズ」 全景(右部分)

大温室「パーム・ハウス」

「キュー宮殿」(ダッチ・ハウス)

ツリー・トップ・ウォーク

マリアンヌ・ノース・ギャラリー

パゴダ

ジャパニーズ・ゲートウェイ(日本エリア)

ミンカ・ハウス(日本の民家)

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,081

「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

第64回:「スタッドリー王立公園」とは?

本家本元とも言えるイギリスの「風景式(イギリス式)庭園」を紹介中。今回は「スタッドリー王立公園」を取り上げます。

「スタッドリー王立公園」はイングランドのノースヨークシャー州にある公園で、シトー会に属する「ファウンテンズ修道院」の施設(現在は不使用)を含み、18世紀に創設されたと言われる「スタッドリー王立ウォーターガーデン」なども含まれる広大なもので、1,986年に世界遺産にも指定されています。

同公園の起源は「ファウンテンズ修道院」にあり、「ベネディクト会」と言うものを結成していた修道士たちにより創設され、1,132年頃まで歴史を遡ることが出来るとの事。その後「ヘンリー8世」(イングランド王 在位1,509~1,547年)が修道院解散令(1,539年発令)出したことにより、2㎢もの土地が「リチャード・グレシャム」(商人)に払い下げられ、その後紆余教説があり「ステファン・プロクター」と言う人物が所有。彼は、1,598~1,604年にかけて大邸宅を同地に建造(ファウンテンゾ・ホール)し、この建物が現在にまで引き継がれ一部が一般公開されています。

さらに、1,693年には「ジョン・エイズラビー」が同地を相続。大富豪であり議員でもあったが、金融破綻し議員からも失職します。結果、故郷「ノースヨークシャー」に帰り、1,718年から大庭園の造営を開始。1,742年に「ジョン・エイズラビー」は没するが、息子の「ウイリアム」が「修道院」と豪邸(ホール)を買い上げ、庭園造営を継続。それが、現在の「風景式(イギリス式)庭園」のベースとなりました。

その後もこの巨大な庭園と豪邸の所有者は変わったものの、建造物自体は引き継がれ、1,966年にウエストライディング州議会が購入。1,983年には「ナショナル・トラスト」、さらに敷地内の「修道院」部分は「イングリッシュ・ヘリテッジ」が管理するようになり、現在に至っています。

公園の特性(見どころ)は以下の通り。

*ウォーターガーデン・・・「ジョージ朝」時代の特性を残した構成で、水を巧みに活かした構成が高い評価を受けている。庭園内に配置された装飾品・湖・水路・神殿調の建物・滝など、見所多数。

*建造物・・・「ネオゴシック様式」の城・「パッラーディオ様式」の宴会場など、建造物も多数ある。

*セント・メアリー協会・・・「後期ヴィクトリア様式」の教会。ヨークシャーエリアの同様式の代表的教会でもある。

*ファウンテンズ修道院(跡)・・・「風景式庭園」と共に、同公園の2大ポイント。詳細に関しては既に提示済み。

以上のように、巨大な庭園と「ファウンテンズ修道院」を2代骨格とした「スタッドリー王立公園」はまさにヨークシャーエリアを代表する観光地であり、歴史遺産。勿論一般公開されており、今も多くの人が訪れます。

「ウォーターガーデン」と廃角形の塔
「ファウンテンズ修道院」跡
「パッラーディオ様式」の宴会場
「セント・メアリー協会」
聖歌隊員の家

「ステファン・プロクター」の大邸宅(ファウンテンゾ・ホール)
「スタッドリー王立公園」の取材地
イングランド王「ヘンリー8世」

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,080


「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

第63回:「カールス・ハワード」と庭園

発祥の地イギリスの「風景式(イギリス式)庭園」。今回は「カールス・ハワード」を取り上げます。

「カールス・ハワード」はイングランドのヨークシャー地方にある「ステートリー・ホーム」です(注:イギリスの農村部にあり、貴族などの住居として建てられた建造物を「カントリー・ハウス」と呼び、その中で現在も私有されているものを「ステートリー・ホーム」と言う)。しかも、<イギリスでも最も壮麗な建造物>とも称され、現在も人気の観光スポットとなっています。また、「カールス城」と称されることも良くありますが、城郭として使われたことは無くこの呼び方は正しくありません。

歴史を辿ると、1,699~1,712年にかけて3代目のカーライル伯爵「チャールズ・ハワード」の命により、上流階級で後に著名な建築家となる「ジョン・ヴァンブラ」が設計を担当しました。実はこれが彼の事実上の処女作でもあり、この作品で評価が高まったと言う事。ただし、当時の設計図では、西棟も描かれていましたが、未着工のままとなりました。西棟は時を経て、18世紀に建設され現在に至っていますが、「ジョン・ヴァンブラ」の設計とは異なり、新古典様式と称される建築様式に変更されています。残念なことに「カールス・ハワード」は1,940年に火災により大半が焼失しましたが、殆どが再建され、現在我々が見る建造物は再建されたものだと言う事です。

「カールス・ハワード」のもう1つの特色は、広大な敷地と複数の庭園を有する点。邸宅の背後には幾何学式の庭園が配されており、おそらく創建当初に造られたもので、まだ「風景式(イギリス式)庭園」が評価される前に完成したのでしょう。さらに、建物を2つの池が囲みそこには庭園広がっており、この部分は少し時代を経て創られた「風景式(イギリス式)庭園」となっています。さらに、公園・その中の植物園へと続き、植物園は「キュー・アット・カールス・ハワード」と称され、イギリス王立の「キューガーデン」と「カールス・ハワード」との共同経営。そして、別に入場口も設けられ、植物園だけを楽しむことも出来ます。同植物園だけでも敷地は514,000㎡あり、それを内包した「カールス・ハワード」がいかに巨大か想像に難くないでしょう。

なお、1,600年代以前に造られたような古い建造物の場合は、幾何学式の庭園が最初に造られ、後に「風景式」庭園が追加される、あるいは部分的に改装される事により、両タイプの庭が併存していつケースが良くあります。

「キュー・アット・カールス・ハワード」植物園は1,975年の創設で、イギリスでの植物標本保管量は最大との事。勿論、イングリッシュガーデンの国イギリスは、世界NO1クラスの植物収集国で、そこでの収集量一番と言う事は、世界一との言っても過言ではありません。

「カールス・ハワード」とその前にある幾何学タイプの庭園。
建物周辺には2つの池がありその周辺に「風景式庭園」が広がっている。
広大な「風景式庭園」
建物とその付近の庭
バラ園への入り口付近
最初の建築主「チャールズ・ハワード」
「ジョン・ヴァンブラ」が描いたパース
1,819年当時の「カールス・ハワード」

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,079

「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

 

第62回:「ブレナム宮殿」とその庭園

 

「風景式(イギリス式)庭園」創始者の1人「ランスロット・ブラウン」作品を紹介中! 今回は「ブレナム宮殿」とその庭園の変遷について・・・

「ブレナム宮殿」はイングランド・オックスフォード近郊のウッドストックと呼ばれている場所(地図参照)にあります。その発祥を調べると、「スペイン継承戦争」(1,700年代初頭にスペイン王の継承権を巡りヨーロッパ各地で行われた戦争の総称)に含まれる<ブレナムの戦い>の功績で、マールバラ公「ジョン・チャーチル」(1,650~1,722年)が、アン王女から建設中の同宮殿を下賜された事がスタートとなっています。

この宮殿の建物は、本館と柱建ての廊下で繋がった両翼棟から成り立っており、部屋数は200にも及びバロック様式の代表的建造物として高い評価を得ています。特に、黄金の天井を持つ「ステートルーム」、ロングライブラリー&サルーンの「大ホール」、ゆったりとした「中庭」などが有名。

それ以上に高い評価を得ているのが庭園。ただし、宮殿創建当初に造られたのは建築家「ジョン・ヴァンブラ」設計の「幾何学式庭園」で17年の歳月を経て完成しました。だがその後大きな変遷がありました。

まず、18世紀中盤に「ランスロット・ブラウン」により大改装が行われ、この時、人工の湖や運河も配され、総面積4,600ヘクタールに及ぶ「風景式庭園」に大改装されました。従って、現在も主庭となっている自然観あふれる庭園部分は、この時の作庭時とほぼ同様の形で残されていると見て間違いありません。

ただし、これだけで改装は終わらず、1,925~1,932年にかけて「アシル・デュシェール」と言う人物によりあの「ル・ノートル」(「ベルサイユ宮殿」等の作庭者)風の「平面幾何学式(フランス式)庭園」が宮殿反対側に追加されています。従って、「ブレナム宮殿」の庭は広大な自然調と幾何学調の2つの庭が満喫できる、庭好きには垂涎の作品と言えるでしょう。ただ、創建当初の「ジョン・ヴァンブラ」設計の庭は殆ど残っていないと見るべきでしょう。

庭園の見どころとしては、運河をまたぐ「グランドブリッジ」・同橋とボートハウスとカスケードを繋ぐ「グレートレイク」・1.2万エーカーのも及ぶ森・ローズガーデン・壁で仕切られた手の込んだ庭・噴水やテラス・ゆっくりくつろげる広大な芝生空間・大規模迷路・歴史的庭園建造物やモニュメント・・・などまさに見どころ満載!

なお、「ブレナム宮殿」初代主の「ジョン・チャーチル」と言う名前を聞き何か気が付くことは? そう、その後チャーチル家は数々の偉人を輩出した名家で、有名な元イギリス首相「ウィンストン・チャーチル」もその子孫です。

ブレナム宮殿全景

 

 

 

 

「ブレナム宮殿」鳥瞰写真

 

ジョン・チャーチル

 

 

 

 

 

 

 

「ブレナム宮殿」初代主の「ジョン・チャーチル」

 

 

グランドブリッジ

 

 

 

 

「グランドブリッジ」

 

ブレナム宮殿と庭園

 

 

 

 

宮殿と幾何学式庭園(「風景式庭園」と反対側)

 

ブレナム宮殿内側

 

 

 

 

「ブレナム宮殿」(「風景式庭園」と反対側)

 

図書室

 

 

 

 

 

宮殿内部①「図書室」

 

 

内部①

 

 

 

 

 

 

 

宮殿内部②

 

 

内部②

 

 

 

 

 

宮殿内部③

 

 

ブレナム宮殿の位置

 

 

 

 

 

 

 

「ブレナム宮殿」の所在地

 

みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,078

「世界のガーデン」第八章:「風景式(イギリス式)庭園」

 

第61回:「ハイクレア・カールス」&「ウォリック城」

 

「風景式(イギリス式)庭園」の創始者とも言うべき「ランスロット・ブラウン」の作品を紹介中。このコーナーでは資料が少ない事もあり、イギリスの「ハイクレア・カールス」と「ウォリック城」を同時に取り上げます。

「ハイクレア・カールス」

「ハイクレア・カールス」はイングランド南岸の都市ハンプシャーにあるカントリーハウス(農村部に建てられた貴族の館)で、1,600年代に建てられました。なお、「ハイクレア」とは古くからある地名から来た名称。

現存する建物はビクトリア朝風で豪華な装飾が施されたおり、1,842年に改築されました。ただし、マンションとして造られたもので、今も夏の間だけ一般開放されています。また、5代目当主の「カーナヴォン伯爵」(1,866~1,923年)は、エジプトのファラオ「ツタンカーメン」墓地の資金提供者(「ツタンカーメン」墓はその資金を公募で賄ったとの事)としても有名で、当時の発掘品が今も展示されています。補足するなら、同建物には現在も8代目の「カーナヴォン伯爵」夫妻が居住しています。

庭園に関しては、前述のごとく「ランスロット・ブラウン」設計の「風景式庭園」ですが資料は殆どありません。興味ある方は自力で現地へ・・・

カントリーハウス

 

 

 

 

 

 

「ハイクレア・カールス」・・・ビクトリア朝調のマンション

 

庭園「ハイクレア・カールス」庭園①

 

庭園②

 

 

 

 

 

 

「ハイクレア・カールス」庭園②

 

レバノン杉

 

 

 

 

 

 

「ハイクレア・カールス」庭園③・・・レバノン杉が有名

 

第5代カーナーヴォン伯爵と夫人アルミナ (1921年)

 

 

 

 

 

 

 

 

5代目当主の「カーナヴォン伯爵」夫妻(1,921年撮影)

 

「ウォリック城」

「ウォリック城」はイングランド中部のウォリックシャー・ウォリックと言う場所にあります。中世から存在する古城で元は900年代前半に造られたアングロ・サクソン人の砦。当然軍需拠点として重要な場所であったため、1,068年に征服王と言われた「ウィリアムス」が、砦と同じ場所かその近辺に現在の元となる城を建造しました。また、1,600年代までは現役の城として活躍していたとの事。

ただし、持ち主・用途等に関してはかなりの変遷があり、1,088年には「ウォリック伯爵」が所有・1,153年には「アンジュリー伯アンリ」(後の「ヘンリー2世」)が接収し囚人の習慣に使った・・・など多くの記録が残されています。

時代は大きく下り、1,600年代になると庭園が築かれたと言う記録も残っています。当然、幾何学式の庭園であったと推定されますが、一般人が目にできるような資料は殆ど現存しません。また、1,700年代に「ランスロット・ブラウン」により現在に近い「風景式庭園」に大改修されたことは間違いありませんが、詳しいいきさつや現在の姿も、現地を訪れるなどしないと手に入る画像は限定的です。

ウォリック城

 

 

 

 

 

東側のエイヴォン川から見たウォリック城

 

聖メアリー教会から見たウォリック城

 

 

 

 

 

聖メアリー協会から見た城

 

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