「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,955
「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭記詳述:「泉の事①②」の記述。
「作庭記」の樹木関連事項について検証しました。続いて、「泉の事」について延べられていますので、それについて考えてみたいと思います。
「作庭記34項:泉の事①」・・・泉の重要性を示すエピソード。
住居には泉(湧き水を利用しその水を貯める場所、井戸を作りその水をためる場所、等)がなくてはならない。暑気を忘れるためにも泉があった方が良い。だからこそ中国(唐)の人は必ず泉やそれを利用して噴水を作り、蓬莱(中国に伝わる東方の海中にある仙人が住む島)のような風景を再現したり、獣の口から水を出したり(壁泉)して、庭に水を取り入れた。
天竺(古代のインド)にも須達長者(祇園精舎提供者の一人)などが祇園精舎をお釈迦様に提供した時も、強い力を持った地元の神様が来てそこに泉を掘った。甘泉と呼ばれているものがその泉である。
日本においても、聖武天皇が東大寺を作った時には、小壬生(「みぶ」とは水のあるとことと言う意味)明神が現れ泉を掘った。それが羂策院の閼伽井戸である。この他、泉や井戸の重要性を語るエピソードは数えきれないほど多い。
井戸を掘って冷たい水が得られれば、そこに小さな建物を作り、大きな井筒を立てて、簀子(すのこ)をかぶせ、その下に水をためて泉とする、言うのが通常の方法である。また、冷たい水が出てきたが場所が遠い場合や不便な場合は、水路を作り便利な場所まで流すようにする。上面が開いた水路にすると具合が悪い場合は、地中に箱のような樋を埋めて、水源(井戸、等)から、底よりも水位が低くなるように注意し、伏通しと言う方法で水を引く。
しかし、泉が水源となる場所よりも高い場合は、取り入れ口となるところの樋を出来るだけ高くして、泉がそれよりも低くなるように工夫すること。このようにすることで、水を取り入れる筒先からあふれ出るようになる。その他、地中に埋めた水路を長持ちさせるためには、石で回りを固め土をかぶせるとよい。石の代わりに硬く焼いた瓦をかぶせると言う方法もある。
「作庭記35項:泉の事②」・・・泉とそこへ水を引き込む技法。
泉に井戸の水を汲み入れるには、その井戸の横に大きな船(桶のようなもの)を作り、台の上に設置する。さらに、その下に、前述したように箱樋(上部が開いていない樋・取水路)を設置し、船の後方から樋の上までは竹の筒を立て、そこを通して水を汲み入れれば、うまくゆきかつ涼しく見える。
泉の水を横・底などに漏れないようにするには、まず井戸の近くをせき止めるため、筒板で止まるようにする。この時、筒板と水の通り道に隙間があってはならない。そして、筒板は地面に30㎝ほど沈めることが出来るようにする。筒板は継ぎ合わせた板(むしろ、水量調整のためには、1枚板より、継ぎ合わせの方が良いと言う事か?)であってもよい。
土を掘った部分の底の部分は埴土(粘土)と水を混ぜて柔らかくし、それを厚さ20~25㎝程度に塗り固める。さらに、その上に平らな12~15㎝程度の石を隙間なく敷き詰める。(ただ、このままでは外見上よくないので)白黒の綺麗な小石(今でいう化粧砂利)を敷くとさらによくなる。
一説によると、泉を作ったとき、水路となる筒を地中に掘り入れないで、地上に筒状の水路を作り、水を使わないときは、その水路の水が完全になくなるような方式でも良いとされている。
以上が、「作庭記」の3項にわたる泉に関する事項の、前半2項です。最初に泉の重要性を確認し、次に具体的な製作技法が示されています。一種の水道工事でもあり、生活に密着したもので、吉兆よりも技術優先の内容となったと言う事でしょう。泉関連に対しては、次項でもまた技術優先の記述内容となっています。
そこで本日の一口アドバイス。
「水は生活の必需品。だから、平安期の水道工事技術がそこに・・・」
(りょう)
平安時代の井戸遺構(京都市南区)
平安時代後期の井戸(木製の枠)