「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,068
「日本庭園と日本外構 編」・・・「修学院離宮」と言う芸術作品!
江戸時代前期の代表的庭園を紹介中。「桂離宮」に続いては「修学院離宮」を取り上げます。
「修学院離宮」は1653〜1655年にかけて、後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外の皇室関連施設)で、比叡山山麓の京都市左京区にあります。ただし、1659年まで江戸幕府による造営工事は継続されており、ほぼ全容が完成するまでには6年近くの歳月を要したと見るべきでしょう。また、「桂離宮」「仙洞御所」と共に、武家文化とは一線を画する、王朝風文化を後世に伝える代表作品として、高い評価を得ています。
「修学院離宮」最大の特色は、上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋に完全に3分され(「修学院離宮」案内図参照)、それぞれが長い園路で繋がれていると言う点。全敷地を合わせると54万㎡に及ぶ広大なものです。また、当然のことながら各々違った特性を持っています。
続いて「修学院離宮」を案内図の順(「下御茶屋」〜「中御茶屋」〜「上御茶屋」)に検証します。「下御茶屋」は池泉回遊式庭園内に後水尾上皇の御座所・寿月観のみが建っています。ただし、創建当初には蔵六庵、彎曲閣(楼)などもあり、現状とはかなり様相が異なっていたようです。また、庭園に関しては、袖形の石灯籠が有名。
「中御茶屋」は後水尾上皇の第1皇女・梅宮が出家したため円照寺という寺院を構えたことがスタート。さらに、1668年に第8皇女・光子(てるこ)内親王のために再整備し現在に至っています。従って、創建当初よりは少し後の作品と見て良いでしょう。また、メインとなる書院造の客殿、楽只軒、それに総門(旧・林丘寺表門)、中門、表門など建造物が多く、庭園に池が無いなど、少し違った様相を呈しています。
「上御茶屋」は「修学院離宮」のメイン空間で、巨大な人工池・浴竜池(よくりゅうち)を中心とした壮大な池泉回遊式庭園。まず、入り口となる御成門があり、進行方向左手(浴竜池西浜沿)に大刈込があります。逆の右側は高台となり隣雲亭が造られ、全景を眺めることができます。さらに進むと、楓橋、窮邃亭、千歳橋、万松塢、土橋、御舟着、などのフォーかるポイントがあり、来園者の目を楽しませてくれます。
また、「桂離宮」同様「上御茶屋」は、全体構成は回遊式で鑑賞+遊びも楽しめる庭、部分デザインは茶の湯の精神を活かした、シンプルで露地風のイメージが強い作品となっています。ただ、直線的なレイアウトは比較的少なく、「小堀遠州」色は殆ど感じられません(おそらく、作庭者も「遠州」グループとは無関係)。
「修学院離宮」には、後水尾上皇が女中に変装し造営を直接指揮した・・・と言った伝承もあります。それだけ、皇族の意思が強く反映された作品ともいえます。作庭者については殆ど資料がありません。しかし、その特性から判断し、「桂離宮」以上に強く王朝趣味を感じさせます。ただ、後代に改修・追加された部分も多く、一般人が当初の造営(作庭)イメージを、正確に把握することは難しいかもしれません。
そこで本日の一口アドバイス。
「後水尾上皇の意思が強く反省された至宝=修学院離宮!」
(りょう)
「修学院離宮」案内図
下御茶屋・園路
下御茶屋・遺水
中御茶屋・客殿
中御茶屋・庭園
上御茶屋・庭園全景
浴竜池・西浜
上御茶屋・雄滝