「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,082
「日本庭園と日本外構 編」・・・「彦根・玄宮園」と言う大名庭園?
江戸時代前期の「大名庭園」。今回は「彦根城」に付随する「玄宮園」「楽々園」を取り上げます。
本題に入る前に、「彦根城(藩)」(滋賀県彦根市)と井伊氏について確認しておきます。井伊氏は徳川氏の重鎮で、特に家康時代の当主・井伊直政は四天王とも称されていました。そして、関ケ原の合戦(1600年)後は、西軍指揮者・石田三成の佐和山城に入り事後処理に当たります。
その後、1602年に直正が死去。井伊直続が家督を継ぎますが、幼少であったため、家老・木俣守勝が直正の意思を徳川家康に伝え、その了解のもとに「彦根城」の築城を開始(1603年)。1606年には二期工事が完了(天守閣完成)し、城主・直続が入場し、同城を拠点とした彦根藩運営が本格スタートします。さらに、1633年には譜代大名最大の35万石という大藩となり、徳川幕府運営に重要な役割を果たし、特に幕末の歴史にはあまりに有名な1ページ(井伊直弼=安政の大獄・桜田門外の変)を残したことは衆知のとおりです。
「玄宮園」はその「彦根城」に付随する庭園で城の北東に位置します。作庭時期・当時の規模や形態は不明ですが、築城と並行して造られた可能性が強く、江戸時代前期の「大名庭園」として取り上げました。なお、1951年には「玄宮楽々園」(「楽々園」については後述)は国の名勝にも指定されています。
「玄宮園」の歴史を辿ると、4代藩主・井伊直興が整備した、第11代藩主・井伊直中の時代に再整備された、と言った記述が見られます。ただ、どの段階でどのような形態であったかを知ることは困難なようです。また、同園は唐・玄宗皇帝の離宮庭園を参考に造られたとされており、名前の由来もそこにあります。
従って、湖(池)をメインとした池泉回遊式庭園で、「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」(中国・山水画の基本イメージ)「近江八景」(琵琶湖の8大景勝)をイメージしたフォーカルポイントが設けられています。具体的には、天守閣を借景としたこと、中心が入り組んだ池、4つの島と9つの橋、湖(池)畔の臨池閣・鳳翔台・八景亭などの建物等で構成されています。
一方、「楽々園」は「玄宮園」に隣接して造られた私庭です。井伊直興(4代藩主)は城内に下屋敷を造りましたが、その庭が「楽々園」。現在の「楽々園」は御書院と言う建造物(江戸時代後期の代表的数寄屋造)と枯山水庭園で構成されています。この庭は「玄宮園」を借景としており、戦前までは書院と枯山水との間に池があったとの事。
「玄宮園」が半公共的庭園、「楽々園」は私的庭園と言う相違はありますが、セットで江戸時代を代表する名庭となっており、「彦根城」と共に、琵琶湖北部を代表する観光スポットの1つにもなっています。
そこで本日の一口アドバイス。
「徳川最大の譜代大名・井伊家が造った名庭=玄宮園・楽々園!」
(りょう)
「彦根城」と「玄宮園」の案内図
彦根城天守閣
玄宮園全景
鶴鳴渚
七間橋
臨池閣
魚躍沼
臥竜橋
御書院(楽々園)
枯山水(楽々園)