「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,219
「日本庭園と日本外構 編」・・・「光明院波心庭」の真相に迫る?
「重森三玲」の作品を紹介中。「東福寺本坊庭園」に続いては「光明院波心庭」を取り上げます。
「光明院」は実は「東福寺」の数多い塔頭(タッチュウ。大寺の敷地内にあり、特定の人を祀る、あるいは隠居した僧侶等が住むための寺内寺院)の1つです。また、そこにある「波心庭」は「東福寺本坊庭園」と作庭者・同年代もほぼ同じと言う事で、兄弟的な庭園と言う事が出来るかも知れません。ただ、庭の構成を見ると、より純粋に禅の精神性を求めた作品とも言えます。
「光明院」の歴史にはかなり不明点が多いため、明確な部分だけを簡単に紹介しておきます。開創者は金山明昶(キンザンミンチョウ。別名・明祖禅師。中国・明への留学経験を持つ、南北朝〜室町時代に活躍した高僧)で1391年に作られたと言う記録があります。ただし、その後荒廃し、1911年になりようやく横幕滴泉(ヨコマクテキセン)により再興されたとの事。さらに時代が下り、1939年に「重森三玲」に依頼し「波心庭」が完成しました。
「波心庭」は「光明院」の方丈に設置された枯山水式の庭園で、総面積は1,150㎡。海を表す白砂と石組部分+苔で覆われ陸地を表す築山とグリーンマット部分で構成されたおり、かなり純粋な視点で臨済禅の精神空間を表現しています。また、グリーンマット空間にはみ出た白砂は、波の飛沫を表しています。デザイン的に極端に奇をてらった部分はありませんが、形而上世界にこだわった、最も「重森三玲」らしい作品に1つと言えるでしょう。
特に、75石が配された石組に大きな特徴があり、禅思想へのこだわりを強く感じさせます。立石を多用している所が特性の1つで、釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊を表す三尊石が3組配され、しかも、3組の三尊石自体が全体構成の中では巨大な三尊石となっているからです。このような構成に対しては様々な解釈が成り立ちます。筆者の場合は、多くの如来が宇宙空間には存在し、その空間どうしがさらに無限の精神世界へと広がっている。そのような広大な世界を、1,150㎡の中に凝縮した。そのように受け止めています。
なお、「波心庭」と言う名前も禅でよく使われる「無雲峯上、有月落波心」と言う言葉から取られているとの事。意味は「高い峯(高い精神性)の上には雲は発生しない。その一方で、波のような豊かな心があるところに月は降りてくる」と言うもの。つまり、あまりにも崇高で巨大な精神空間ではあるが、白砂の波(日常的な世界)にほの白く輝く月の光がやさしく余すところなく照らしてくれる。このような意味ではないでしょうか。
そこで本日の一口アドバイス。
「崇高で無限に広がる精神世界。ささやかな日常世界。一見別物だが本質は同じ?」
(みずき りょう)
鳥瞰写真(庭全体が無限の広がりを持つ精神世界)
全景(3組の三尊石を基軸として構成)
白砂の海+グリーン部分の陸地+象徴的石組
方丈内より・・・
築山上の三尊石
回廊