りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,629

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・「禅」と「能」と「日本庭園」の関係?

鎌倉・室町時代の「日本庭園」について検証中です。そして、足利義満と北山文化が大きな影響を及ぼし、その代表的存在が「金閣寺」であることが明確になりました。ただし、これだけでは北山文化とは何かを知ることは困難です。同文化を知るには2つのキーワードとその意味を把握する必要があるからです。

では北山文化の2つのキーワードとは? ①:武家文化と貴族文化の融合 ②:「禅」の精神・・・以上です。

①:に関しては前項でも触れましたが、平安の貴族(主に藤原氏)の時代を平清盛が断ち切り、さらに源頼朝が平氏を滅ぼし、武士の世を創りました。鎌倉時代の到来で、政治の中心も鎌倉に移りました。この段階で、質実剛健を好とした武家文化が生まれます。しかし、その源氏・北条氏の世も、南北朝時代を経て足利氏の時代(室町時代)へと移行します。

この段階で、文化的に最も大きな影響を及ぼしたのが、政治の中心を京都に戻したと言う出来事です。そして、鎌倉の武家気風と平安の貴族文化の融合が起こり、北山という特有の、しかも極めて芸術性の高い文化が生まれます。この北山文化は後の日本芸術に決定的とも言う影響をもたらします。庭園文化に対しても同様です。

②:に関しては、鎌倉時代にもたらされた質実剛健の気風と、新しい仏教の波が結合したことが、新文化の萌芽へと結びつきます。具体的には禅宗(特に「臨済宗」)の定着と、その精神の芸術的影響によります。

平安時代には末法思想がはびこりました。貴族達はその末法から逃れるため、浄土(阿弥陀如来の世界)へ憧れ、その擬似世界を創り出します。庭園も同様で「浄土式庭園」が多数造られます。鎌倉時代でもこの傾向は続きますが、武士の世となり、乱世の供養が一段落すると、より内的で高次の精神世界を求め、その最適対象が「禅」と成りました。ただ、鎌倉時代の段階では「禅」の精神が文化とし定着するには至らなかったようです。

しかし、室町時代に入り北山文化の広まりと共に、「禅」の精神が文化や生活面でも取り入れられるようになります。具体的には、「水墨画」と言った新たな絵画の定着、「能」と言う昇華した芸能の確立、と言った形でその影響が現れます。そして、その精神は「茶道」へと引き継がれていきます。

庭園の世界でも、禅寺が多数造られるのに付随して、その精神を反映した新たな「日本庭園」が造られ普及します。「池泉回遊式」「池泉座視式」「枯山水」などの様式庭園です。しかも、この段階で「日本庭園」の基本様式がほぼ確立され、現在でも高い評価を受ける作品が多数登場し、1つの黄金期が形成されます。

そこで本日のひと口アドバイス。

「北山文化のキーワード、①:武家&貴族文化の融合 ②:禅の精神と芸術の融合」

(りょう)

 

 

 

 

「天竜寺」:臨済宗天竜寺派

 

 

 

 

 

 

「禅」と「能」:能舞台

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「能面」