りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,630

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・臨済宗と夢窓疎石の影響とは?

「日本庭園」は室町時代に爛熟期を迎えます。その決定的要因が2つあると述べました。1つは、貴族と武士の文化を融合させた北山山荘。それを軸として生まれた文化です。そして、その象徴的作品が「金閣寺」とその庭園です。そして、もう1つはが「臨在宗」の影響です。そこで、この項では「禅」と「日本庭園」の関係を探ってみます。

仏教の発展形である「禅」的な発想はインドからもたらされ、唐の時代に中国で発展し、中国禅五家(5つの禅宗)が生まれます。そして、日本でも武家の思想とマッチするものがあり、2つの宗派が隆盛を極めます。「臨済宗」と「曹洞宗」です。両宗派とも「禅宗」であるため、座禅を組みながら人間の内的世界を追求すると言う点は同じです。ただし、少なくとも日本にもたらされた段階では、基本発想にかなりの差が出ました。

「臨済宗」の日本の開祖は栄西ですが、武家政権の間で主に広がり、座禅と一般的な仏教修行を両立させました。少し強引な表現ではありますが、柔軟性を持った「禅宗」と言うことができるでしょう。一方「曹洞宗」を日本に普及させたのは道元です。そして、彼は只管打座(しかんだざ)と言う言葉に象徴されるように、座禅による就業をさらに徹底させ、究極の悟りを目指しました。同じく極端な表現ではありますが、より厳しい「禅宗」と言えるでしょう。そして「曹洞宗」は支配層ではなく、一般の武士を中心に広まりました。

そして、芸術や「日本庭園」の世界には、「曹洞宗」より「臨済宗」の方が大きな影響をもたらします。芸術、芸能、庭園観賞といった世界に足を踏み込む余裕のあった、上流階級の支持があり、それらを生活に取り入れたからでしょう。また、思想的にも比較的柔軟性があり、精神世界を絵画、芸能、建築、庭園と言った形で表現する習慣と結びつきやすかったためと考えられます。

結果、「臨済宗」と共に、宋からは水墨画と言う新しい絵画様式が日本に導入され、「禅」とセットで流行します。また、観阿弥・世阿弥親子が「能楽」と言う新たな芸能を普及させますが、これも「臨済宗」との関連性が極めて深いといえます。 「日本庭園」の世界でも、「夢窓疎石(別名:夢窓国士、等多数)」と言う僧でかつスーパーガーデナーが登場したことの影響も大きく、「臨済宗」に結びつく庭園が仏教寺院を中心に多数造られます。

同時に、自然感覚+精神世界、と言う日本特有の庭園様式も確立され、冒頭で提示した「日本庭園」の爛熟期を迎えることになります。次項では、夢窓疎石の作品をベースに、室町時代の庭園とその様式の特徴にメスを入れます。

そこで本日のひと口アドバイス。

「禅の精神世界を、絵画、芸能、庭園等に取り入れ、日本特有の進化が・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

「明庵栄西」:日本の「臨済宗」開祖

 

 

 

 

 

 

 

 

「道元」:日本の「曹洞宗」開祖

 

 

 

 

 

 

 

「夢窓疎石」:室町時代のスーパーガーデナー