りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,632

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・室町時代の庭園様式とその意味!

「室町時代」には「夢窓疎石」と言う庭園界のスーパースターの出現もあり、多くの名園が造られました。同時に「日本庭園」特有の様式もこの時代にほぼ確立されたと言って良いでしょう。では、それ以前の庭園様式と室町以後の庭園様式にはどのような差があるのでしょうか?

鎌倉時代以前の「日本庭園」は、「寝殿造」に伴う庭園、「浄土式庭園」の2種にほぼ限定されます。そして、様式的に言えば両者とも「池泉回遊式庭園」と言うことに成ります。より重要なことは、「寝殿造」系は自然の風景を模したもの、「浄土式」系は阿弥陀如来の世界を模したものであると言うこと。つまり、何かのモデルを庭園の中に形として凝縮したわけです。

「寝殿造」系の庭園は、全ての「日本庭園」の基とも言えます。そして、平清盛の時代(平安末期)には厳島神社が隆盛を極めた影響のあり、瀬戸内海の風景画が模写されるなど、さらなるデザイン的発展を遂げます。一方、「浄土式」系の庭園は、空想の世界が対象となるため、インドの「スメール山(須弥山)」、中国の「蓬莱山(神仙思想の中の空想の山)」がデザインモデルとなります。ただ、いずれも人間の深層世界に踏み込んだものではありません。

「室町時代」になると、「池泉回遊式庭園」の発展形、「池泉座視式庭園」「枯山水」などの、当時としては新しく、かつ「日本庭園」の基本ベースとなる様式がほぼ出揃います。ただし、これは単に新しい庭園デザインが出現したと言うだけに留まるものではありません。そこには「臨済宗」(あるいは臨済禅)の影響で人間の精神世界を庭園内に表現すると言う、決定的な進化が加わっています。

ヨーロッパの絵画に例えるならが、自然界・キリスト教の世界を写実的に描いていた段階から、印象派の出現で精神世界の表現へと踏み込み、さらに抽象画の世界でさらなる追求が行われるようになった。そのような変化とよく似ています。そして、庭園という世界で人の精神表現へと深く踏み込んだのは「日本庭園」だけです。その橋渡しを行った代表的人物が「夢窓疎石」と言うことに成るでしょう。それが可能であったのは、彼が極めてレベルの高い禅宗の僧侶であったからでしょう。

「日本庭園」の各様式の特徴、技法については別項で詳しく述べます。しかし、自然界・宗教界の模写から人間の精神世界、さらには深層心理へ踏み込もうとしたのは「日本庭園」だけであること。この決定的変化が「室町時代」におきたこと。この点を見逃して、我が国の名庭を語ることは出来ません。また、どの程度それが論理的に理解されているかは不明ですが、「日本庭園」がクロード・モネを、そして世界の人々を感動させ続けるのは、その精神世界が何かを語りかけているからでしょう。

そこで本日のひと口アドバイス。

「自然界・宗教界の模写~高度な精神世界を追求すると言う決定的変化が・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

「スメール山」:古代インド人のイメージ

 

 

 

 

 

 

 

「銀閣寺」:池泉回遊式庭園

 

 

 

 

 

「智積院」:池泉座視式庭園

 

 

 

 

 

 

「太山寺」:枯池式枯山水庭園