りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,647

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・「枯山水」と言う空間の正体とは?

「日本庭園」の基本的な構成要素について検証中です。「築山(つきやま)」「石組」「池」に続いては「枯山水」を取り上げます。といっても、「枯山水」「日本庭園」の様式の1つで、構成要素と捉えること事態がおかしい、と言う指摘が出るかもしれません。その通りだと思います。ただ、実際には「枯山水」だけの庭園は殆ど無く、臨在宗などの寺院を主体に、庭園全体の主要コーナーの1つとなっていることが多く、あえてこの項では重要な構成要素として「枯山水」取り上げます。

実は「枯山水」の歴史は、平安時代にまで遡ります。日本最初の庭園書「作庭記」(橘俊綱作と言われている)にそれに類する記述が見られるからです。ただ、読み方に対する意見、単なる部分的石組みのことで、一般的な「枯山水」とは異なる、既に当時から「枯山水」は存在していた、など多数の見解があり、平安時代に本来の「枯山水」があったか否かは不明です。

やはり「枯山水」が本格的に造られるようになったのは、北山文化(室町時代初期)以降からと考えるべきでしょう。初期の「枯山水」の代表例としては「西芳寺」「大徳寺」などを上げることができ、やや時代が下って造られた「竜安寺」に1つの完成形を見ることが出来ます。

では、「枯山水」の定義とは何でしょうか? 答えは「定義付けは不可能と言わざるを得ない」でしょう。「枯山水」と1口に言っても、その範囲は極めて広く、「枯池」との線引きさえ困難であるからです。ただ、デザイン形式上、以下のような特性を上げることは出来るでしょう。①:水を意識的に使わない ②:石・砂(砂利)・など無機物の使用頻度が高く、逆に植物の使用頻度が低い作品が多い ③:臨済禅を基軸とした精神的要素が強い・・・と言った点です。ただ、新しい「枯山水」はデザイン的要素が優先され、精神的要素が次第に失われて行くという傾向が強まります。

では、「枯山水」のベースとなったものとは? 中国の水墨画(あるいはそのモデルとなった風景)の景観、臨済禅の精神世界であることは間違いありません。従って、室町時代の「枯山水」に関しては、それを眺めながら座禅を組み、効果を高めると言う具体的な役割もありました。精神優先の抽象画の世界でもあったわけです。

また、「枯山水」は後の日本芸術に様々な影響も与えました。広大な精神世界(あるいは理想の景観)を小さなスペースに閉じ込める、と言う発想の原点にもなったからです。後の「坪庭」「盆栽」「盆石」なども「枯山水」の発想が極めて強く影響したことは言うまでもありません。ただ、時代と共に(「枯山水」自体も含め)形が優先され、それを超越した遊び心(大胆な発想)が次第に失われて行きます。

臨済禅とは崇高な精神世界の追求と、遊び心(芸術等)を両立させたものです。そこが曹洞禅との相違であり、その発想を忘れた「枯山水」は単なるオブジェに過ぎません。

そこで本日のひとくちアドバイス。

枯山水と言う日本庭園特有の世界。それは崇高さと遊び心の融合でも・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

龍吟庵東庭:赤砂の枯山水

 

 

 

 

 

 

 

 

枯山水と禅の修業

 

 

 

 

 

 

相国寺:これも枯山水?

 

 

 

 

 

 

天授庵:幾何学的空間