りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,648

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・「露地」と言う特殊空間の意味?

「枯山水」に続き、この項では「露地」を取り上げます。「露地」もまた、「日本庭園」の様式の1つです。ただ、茶室にセットされた独立庭園として造られることもありますが、大庭園の場合は1つの重要コーナーであることも珍しくありません。特に、江戸時代の「大名庭園」、近・現代の公共的庭園の場合はそのような傾向が強いため、あえてここでは、「日本庭園」の構成物として分析を試みます。

「露地」(勿論「茶道」自体も)が直接的かつ最も強い影響を受けたのは、室町時代中期の「東山文化」でしょう。ただ、「露地」と「茶道」はセットのものであるため、「茶道」そのものの歴史を少し追って見ます。

お茶を楽しむ文化は古く、勿論そのルーツは中国にあります。日本にお茶がもたらされたのも古く、遣唐使によると言われており、平安時代初期には既に栽培も始まっていたようです。ただ、茶の湯的な扱いが始まったのは、抹茶を使う習慣が持ち込まれた、鎌倉時代からで、臨済禅・曹洞禅と密接な関係が有ります。

ただ、堺の富裕な町人(商人)から「茶の湯」は流行し始めました。つまり、庶民から支配者階級へと逆に広まった最初の文化と言えるかもしれません。そして、織田信長や豊臣秀吉が茶の湯を好んだこともあり、戦国大名などに瞬く間に広がって行きました。その最大の功労者が千利休であり、「侘び・寂び」と言う特有の発想も生まれました。勿論、この発想が「茶室その後、様々な流派が生まれ現代の「茶道」へとつながっていくことは周知の通り。

「露地」に話を戻します。「露地(ろじ)」とは茶室にセットされる庭のことで「茶庭」とも呼ばれます。盛んに造られるようになったのは、「東山文化」が普及した室町時代中期以降のこと。既に提示したように、「茶室」「露地」ともに「侘び・寂び」と言う考え方だ原点となっており、深い山のイメージ、奥まった静かな場所のイメージと良く適合します。

従って、「露地」と言う名称は、奥まった所にある小道「路地」が原点となっています。さらに、覆いの無い地面と言う意味も加わり「露地」と言う漢字が当てはめられるようになりました。特色としては、①:細く長いアプローチが構成の重要要素となっている ②:自然的要素を出来るだけ活かす(人工的植栽などはあまり使わない) ③:手水鉢×つくばい・石灯篭(比較的新しい「露地」)・腰掛待合、など茶の湯と関係の深いものが、自然感覚を崩さないように配置される・・・などを上げることができます。

ただ、「北山文化」と比較すると「東山文化」は、スケールダウン、閉鎖的側面があることは否めません。「茶道」もその流れを組んでおり、時代が進むにつれ、ますます矮小化された特殊世界を構成するようになります。進歩と取らえるべきか、退化ととらえるべきか・・・

そこで本日のひと口アドバイス。

「路地から露地へ! 茶道の侘び・寂びが生んだ特有の庭園空間がそこに・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

茶室:草庵タイプ

 

 

 

 

 

 

室内から見た「露地」

 

 

 

 

 

 

「露地」の長いアプローチ