りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,770

 

「+αの植栽大研究 編」・・・無優樹、菩提樹、沙羅双樹って何だ?

スッキリ系シンボルツリー、シャラ、ヒメシャラから派生し、沙羅双樹の話をしました。となれば、さらにその延長で、仏教の三大聖樹の説明を行わないわけには行きません。それが「+αの植栽***」であるからです。

仏教の三大聖樹とは、無優樹、菩提樹、沙羅双樹のことです。そして、沙羅双樹はお釈迦様が80歳で入滅(あるいは入滅時の最後の説教)された場所に植えられていた、フタバガキ科の樹木であることは前項で説明済みです。従って、この項では、無優樹と菩提樹を取り上げます。

無優樹とは、お釈迦様が生まれた時、その場所に植えられていた樹木のことです。その誕生の地とは、シャカ族の王宮でした。多くの方が知っている通り、お釈迦様はシャカ族の国の王子であったからです。お母様は王妃・摩耶夫人。同夫人の脇から生まれ、すぐに右手で天を左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と叫んだと言うのは、あまりにも有名な釈迦誕生伝説です。そう、そこにあったのが無優樹と言う次第。なお、インドの無優樹はマメ科の樹木で、当然の事ながらサヤに入った実がなります(写真参照)。

ただ、菩提樹、沙羅双樹と比較し、無優樹を知る人は、日本では少ないような気がします。熱帯地方であるインドの樹木は日本では育ちにくいので、代替樹を聖樹とする習慣がありますが、無優樹の場合はあまり聞いたことがありません。もし、和製無優樹がお寺等に植えられている例があれば教えてください。

次に菩提樹について。お釈迦様は29歳で、王子の地位を捨て修行の旅に出ます。そして35歳の時マガダ国のガヤー村で瞑想し悟りを開きます。その場所にあったのが(おそらくそこに自生していた木)クワ科のピッパラ樹です。だからこそ、この木が仏教第二の聖樹となりました。ただ、樹木名ではなく、悟り(サンスクリット語で「ポーディ」、漢字で「菩提」)の樹木・菩提樹(あるいはインド菩提樹)と言う名称で呼ばれ今日に至っています。

ただ、沙羅双樹と同様に、日本ではこの木(インド菩提樹)は育ちません。そこで、シナノキ科の木を代替樹として菩提樹と呼び、お寺等に植えられるようになりました。でも、なぜこの樹木が菩提樹に選ばれ、いつ頃から日本の聖樹として容認されるようになったかは不明です。この点も、ご存知の方がいれば教えてください。

なお、お釈迦様は当初苦行で悟りを得ようとして失敗します。そして、衰弱してしまいます。この時、スジャータと言う娘さんが乳粥を振舞ってくれて、体力を取り戻し、真の悟りへと辿り着きます。そう、コーヒーの友「スジャータ」は、おそらくその娘さんの名前を・・・どうでも良いことではありますが。それよりも、釈迦誕生の無優樹、悟りの菩提樹、入滅(涅槃)の沙羅双樹、覚えて置いてください。

そこで本日のひと口アドバイス。

「お釈迦様0歳の無優樹、35歳の菩提樹、そして80歳の沙羅双樹・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

無優樹(マメ科)

 

 

 

 

 

 

アーナンダ(釈迦の弟子)の菩提樹(祇園精舎)

 

 

 

 

 

 

釈迦が説法した場所(祇園精舎)

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の菩提樹(シナノキ科)