りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,876

 

「現代日本 外構・ガーデン事情 編」・・・中国様式〜和の世界の確立へ!

欧米の中世〜現代へのデザイン・装飾の流れをかいつまんで紹介しました。続いて、日本の建築、ガーデンのデザイン(様式)の流れについても概略的に検証しておきます。

日本に建築、庭園様式と言うものが発生したのは飛鳥時代からと考えてよいでしょう。それ以前にも、かなり大型の建築物、日本庭園の原型的なものはありましたが、文化・デザインの流れとして取り上げるには、あまりにも特例的な存在であったからです。しかし、飛鳥時代に入ると中国文化の導入、朝鮮半島からの渡来人による技術導入が本格化し、様相が一変します。要するに、中国直輸入様式の建築物、庭園が造られるようになったということ。

続く奈良時代はその延長上の普及時代と言えます。従って、近畿エリアを中心に、多数の建築物・庭園が造られますが、大多数が中国式、あるいはその一部の改良型と考えてよいでしょう。藤原京、平城京、など都市そのものが中国の模倣から始まったわけで、それも当然のことです。

ただし、平安時代になると寝殿造と言う様式が生まれます。皇族・貴族の邸宅をメインとした様式ですが、中国の影響を色濃く残しながらも、日本特有の変化が現れます。いわゆる国風文化の登場です。この変化をデザイン面でとらえると、装飾性の高い中国式から、シンプル化した日本的デザインへの部分的移行と言えるかも知れません。

ただし、日本特有の建築・庭園(あるいはデザイン)様式が確立されるのは、貴族〜武士社会へと変化した鎌倉時代を経て、武家文化と貴族文化が融合した、室町時代初期と考えてよいでしょう。その起爆剤となったのが足利義満が築いた北山文化(1358〜1403年)です。建築様式としては書院造の確立と考えてよいでしょう。つまり、室町と言う時間帯は歴史的には地味で、興味を示す人もやや少ないかもしれませんが、文化、建築、庭園、デザイン様式と言った面では、最も重要な時代であったということです。

では、北山文化及び書院造の様式とは。その代表である金閣寺を思い出していただければ、ある程度の理解が可能でしょう。特殊な黄金色は別として、日本特有のシンプルなフォルムが最大の魅力であることが分かります。つまり、欧米では装飾美が追及されたのと対照的に、モダン系のデザインが日本では定着しました。日本人の個性によるものでしょうか・・・

ただ、その背景には臨済禅と言う仏教思想と、質素倹約を重んじる武家思想が大きく影響していることを忘れてはなりません。そして、北山文化、あるいは書院造は、東山文化へと受け継がれ、茶の湯と言う特有の世界を生み出します。この茶の湯の精神が、その後の日本建築・庭園のデザイン(様式)にも多大なる影響を及ぼし、現代に至っています。そして、この時点で言えることは、日本のデザインは欧米よりも500年早く、装飾至上主義ではなく、モダン系へと向かったということです。 

そこで本日のひと口アドバイス。

「北山文化、書院造が生み出したシンプルなフォルム=和風デザインの原点!」

(りょう)

 

 

 

 

 

足利義満像:京都・等持院

 

 

 

 

 

 

金閣寺(正しくは「鹿苑寺舎利殿)

 

 

 

 

 

 

書院造:京都・東求堂