りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,941

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭記詳述:「滝作り④」の記述と滝の本質!

この項では、滝に関する記述の最終項と、滝全体に関する記述について検証します。

「作庭記15:滝の落ちる様々を言う事」・・・滝を作る順番。

滝を作ることに対しては、以下のような言い伝えがある。それは、中国の書物にも多く語られている。不動明王の言葉によると、滝は高さ90㎝になると、我が身と同じだ。1.2~1.5m、さらに3~6mともなればなおさらだ。そんなわけで、滝と言うものは三尊の姿とつながっている。左右の前石は童子を表すこともあろう。

さらに、不動儀軌(不動明王等についての図入りの記述。天台密教との関連が深いとのこと。奈良県立博物館にも重要文化財として所蔵)によると、見我身者、発菩提心、聞我名者、断悪(「悪」は「惑」の間違い?)修繕、故名不動(山伏等がよく唱える「陀羅尼経」の一部にもこれに近い記述があるが=不動儀軌であるのか否かは、現在の筆者の知識範囲では不明)などと書かれている。自分の身をしっかり見つめるためには、青黒童子を拝めと言われているが、滝はその代わりともなる(崇高な)ものでもある。

以上、「作庭記」12~15項が滝に関する記述です。その内容は既に紹介した通り、かなり細密なものです。ただし、「作庭記」には図面・イラスト等が無い(少なくとも、現在に伝わっている作庭記には図面・イラスト等は全く添えられていない)ため、不明な点も多々あります。この「日本庭園と日本外構」の「作庭記」コーナーでは、誰もが分かるような表示方法を基準としています。従って、現代訳と言うより、思い切った意訳。場合によっては筆者独自の解釈を付け加えています。

しかし、分かりやすい表記を心がけるほど、不明点も多く出てきます。例えば、滝のメインとなる「水落の石」(今回は「水が落ちる部分の石」と言った表記をよく使った)と言う記述ですが、正確にはどこからどこまで(滝の落口~滝壺まで? 滝壺の水を受ける部分の石も含む? 以上の部分の特定の石に限定される?)を含むのかは不明です。

ただ、「作庭記」全体についても言えることですが、あまり煩雑な専門用語は出てきません。同時に、状況により同じ表記でも、広義に解釈したり、狭義に解釈したり、臨機応変な使い方をしています。従って、滝全体の石の名称に関しても、「脇石」「水落の石」と言った程度の固有名詞しか登場しません。これは、近年の造園資料と比較すると決定的な差と言えます。

「作庭記」の著者(橘俊綱説が有力)は、細かな専門用語を使っても、作庭とはより柔軟なもので意味がないと考えたのか、平安時代にはまだあまり複雑な固有名詞が無かったのかは不明です。ただし、筆者には前者の解釈の方が正しいように思えます。不必要な専門化(様式・用語によるしばり)、必要以上の決め事は、逆に作庭にとりマイナス。そう考えたのではないでしょうか・・・

そこで本日の一口アドバイス。

「滝と不動明王・修験道とには深い結びつきが=密教との精神的関連性も・・・・」

(りょう)

稽首聖無動尊秘密陀羅尼経

同住明王體 加持我三密 稽首明王力 令我悉地満 稽首明王力 令法久住世 自界及他界 無盡世界海 界中諸含識 同證無上覚 見我身者 發菩提心 聞我名者 断惑修善 聴我説 者 得大智慧 知我心者 即心成佛 無始己來無量罪 今世所犯極重罪 日日夜夜所作罪 

 

 

 

不動儀軌:奈良県立博物館所蔵(重要文化財)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本各地に「不動の滝」がある:写真は八幡平