りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,943

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭記詳述:「遺水事②③」の記述!

引き続き「作庭記」の遺水事について検証します。今回取り上げるのは「遺水事②」(17項)と「遺水事③」(18項)。

「作庭記17項:遺水事②」・・・地形と主・家臣の関係。

弘法大師が高野山に寺を建立するため、適切な場所を探している時、一人の老人と出会う。そして、弘法大師は彼に質問した。この山には寺を建てるのに適切な場所はあるだろうか。すると老人は答えた。私の住んでいるところこそ、昼間は紫の雲がたなびき、夜は露で光る五葉の松があり、そこにある水は東へと流れると言った条件を備え、まさに国城(弘法大師の拠点)を作るのに最適の場所です。水が東へ流れると言う事は、仏法東漸(ぶっぽうとうぜん・仏教と言う教えは東<インド>からやってきた)の状況を現している。つまり、そこは居所として吉(非常に良い)ところと言える。

ある人が言うには、山や水路・池等を作り、石を立てる(ここでは居所として整備するといった広い意味)ことは非常に深い意味がある。以土為帝王(中国故事に出てくる理想の帝王)、以水為臣下(同家臣)のコンビのように、水(家臣)は土(主)の意志に沿って動き、土(主)が自重せよと言った時は動かない。

またこの地形は、他の言い伝えでは、山(≒土)をもって帝王として、水をもって家臣として、石をもって補佐する家臣として、例えることが出来る。だから、水(家臣)は山(主)をたよりとし忠実に従う。ただし、山(主)が弱い(正しくないと解釈すべき)場合は水(家臣)がそれをつぶしてしまう。つまりこれは、家臣が帝王を逆におさめると言う事を現している。

山(主)が弱いと言う事は支える石(家臣)が無くなると言う事。だからこそ、山(主)は石(家臣)よりも全てに対してただしくあるべきだ。同時に帝王は良い家臣がいてこそ存在することが出来る。だからこそ、山があり、水があり、そして石があることが(拠点となる建物や庭を作る)必須条件となる(注:古来からなぜ庭園を重視したか、その一つの意味がここにある)。

「作庭記18項:遺水事②」・・・水路の高低差。

一:水路の高低差を定めて、水を流すと時は、30㎝に9mm、180㎝に9㎝、18mに90㎝の傾斜(つまり、3~5%の傾斜角度)を付けると、せせらぎのような流れとなる。しかし、傾斜角度を間違うと、麗しい感覚で流れるはずであったものが、上の水に押されたように流れてしまう(流れ早すぎるという意味か?)。

ただし事前にチェックするため、水路をおおよそ掘ってみて、竹を割って地面に割った面を上にして置き、水を流して試験してみることも大切である。このようの試験をせずに、水路を作ってしまうと、細かなことが分からず失敗する。川上から計画通りにうまく流れない。また、たとえ水は流れたとしても、自然の風景のように、山の水が平地へ流れるように、風流のある(趣きのある)流れとはならない。水は、単に流れるだけではなく、目的に従いかつ面白く流れなければならない。

南側の庭へ出す水の大部分は、透渡殿(囲いが少ない渡り廊下のような建物)下をくぐって出て、西へ向かうように流す。これが常事(一般的な形)だ。また、北の対面から流し、2つの建物の下をくぐり、透渡殿の下から出す水は、中門の前から池に流すのが常時となる。

以上が「作庭記」の17、18項の遺水に関する記述です。16項もそうですが、17項もまた弘法大師に例を取り、吉凶に触れている点が印象的。この2つの説明を経て、ようやく具体論に入っているのが印象的です。

そこで本日の一口アドバイス。

「陰陽五行説だけではなく、仏法も引用し吉凶にこだわる遺水とは・・・」

(りょう)

 

 

 

 

弘法大師が開いた「高野山」

 

 

 

 

 

 

大覚寺・透渡殿