りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,958

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「浄土式庭園」の起源とは?

前項では平安時代後期とはどのような時代であったかの確認を行いました。それを背景に、今項からは「浄土式庭園」について可能な限り詳しく検証してみたいと思います。

でも、「浄土式庭園」の原点となる「浄土」とはいかなるものでしょうか? それを知るためには、仏教のおおよその流れと阿弥陀如来とはいかなる存在であるかを把握する必要があります。

仏教は紀元前500年頃、お釈迦様がインドで自由平等をベースに考え広めた思想(宗教)です。ところが、紀元前300年頃から高度な専門化傾向が強まり、これを部派仏教(日本では小乗仏教)と呼びます。さらに時代が進み、紀元前後になると部派仏教への批判が高まり、大乗仏教が登場し、やがてそれがチベット、中国等を経由し、日本でも広がります。

大乗仏教とは何かを説明することは簡単ではありません。その範囲が膨大なものであるからです。ただし、前述のように部派仏教への批判が登場の背景にあり、大衆救済が主眼が置かれたことは間違いありません。ただし、思想面(哲学)面でも高度に発達し、その原点となったのが「空」と言う発想であることも忘れてはなりません。

同時に、大乗仏教ではお釈迦様以外の多くの悟りを開いた人(あるいは超人というべき存在)が登場します。薬師如来、阿弥陀如来、大日如来(やや特殊な存在)などがその代表で、同時に独自の経典までもが作成されるようになります。大乗仏教の経典で、初期に登場しかつ最も重要な存在が、一連の般若経類、華厳経、法華経、などです。

それから少し遅れ、より多くの人を救ってくれると言われた阿弥陀如来(アミターユス「計り知れない寿をもたらす」と言う意味)の人気が高まります。そして、同如来の世界を示した経典が広まります。その代表が、浄土三部経と言われる、無量寿経(最も重要な経典)、観無量寿経、阿弥陀経の3種です。そして、同経典の主な舞台が阿弥陀如来の世界「浄土」で、西の彼方にあると言われています。

従って、浄土系仏教最大の特性は、西の彼方にある「浄土」へ阿弥陀如来に連れて行ってもらい、永遠の安息を得たい・・・と言う考え方が原点となっていると言う事。実は、これは仏教全体から観るとかなり特殊なものだとも言えます。ただ、ここで思い出すべきは、平安時代に広まった末法思想です。となれば、この世の不幸から抜け出し、彼方の「浄土」での救済を夢見ると言うのは、ある意味当然の発想かもしれません。

以上を前提とし「浄土式庭園」とは何かを定義づけると、阿弥陀如来の世界「浄土」を再現した庭、と言う事になります。もっとわかりやすく言えば、主に無量寿経に描かれている「浄土」を、当時の僧侶・平安貴族がイメージしビジュアル化した庭と言う事です。では、それが具体的にどのような姿であったのか、実際の「浄土式庭園」を参考に探っていくことにします。

そこで本日の一口アドバイス。

「阿弥陀如来の世界=浄土。平安人が再現したその姿とは・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

平等院:阿弥陀如来像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平等院:雲中供養菩薩像の中の一体

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平等院:上品下生図(部分)