りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,959

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「浄土式」と言う庭園様式!

仏教の中の阿弥陀如来の位置づけ、「浄土」と「浄土式庭園」の持つ意味、について前項で確認しました。では、具体的に「浄土式庭園」とはどのよう様式を持ち、どのような作品が造られたのでしょうか。

日本に「浄土思想」が持ち込まれたのは古く、538年とされる仏教伝来とほぼ同時と言われています。ただ、仏教伝来当初は単なる死者を弔う儀式的性格が強かったようです。仏教本来の考え方、それに対する研究が本格的に行われるようになったのは、奈良時代に入り南都六宗と言われる宗派が広まってからと考えた方が良いでしょう。

その後、平安時代になると遣唐使の影響もあり、最澄の天台宗、空海の真言宗などが伝来し、やがて南都六宗以上の勢力を持つようになります。さらに、その後平安貴族の間でも、仏教が広く信仰されるようになります。ただ、貴族にとっては天台宗の基本経典である法華経の研究と言ったことよりも、現世利益+死後の極楽往生の方が重要な問題でした。これに拍車をかけたのが末法思想で、阿弥陀仏と「浄土信仰」が盛んになって行き、阿弥陀如来の仏像、同世界を現した絵画、それを収めるための寺院などが各所に造られるようになり、その延長上で普及したのが「浄土式庭園」です。従って、寝殿造庭園が内裏や高級貴族の住居に造られたのに対し、「浄土式庭園」は寺院(あるいは寺院を含んだ皇族・高級貴族の居住地)に造られ普及したことは言うまでもありません。

初期の「浄土式庭園」は寺院の金堂や阿弥陀堂の前面に池を造り、蓮の花園を設けるだけと言った簡素なものでした。このような初期(あるいは本格的「浄土式庭園」登場の前段階)的な庭園は奈良時代に既にみられました。しかし、明確に「浄土式庭園」と言えるものが登場したのは平安時代になってから。

本格的「浄土式庭園」の特性としては、メインの建物は寝殿ではなく阿弥陀堂、伽藍配置とそのスケールに対し池のウエイトが大きい、その池に映る阿弥陀堂他の姿が「浄土」を表現している・・・と言った特色を持っています。つまり、「浄土式庭園」最大のポイントは池自体にあったと言う事です。平安時代で最も著名な「浄土式庭園」は、白河院が造り始めた鳥羽離宮に付随するものと、藤原氏の法成寺・平等院など。では、これらの建物と庭園とはいったいどのようなものであったのでしょうか?

まず、鳥羽利離宮ですが、11世紀末から約80年間かけて造営されたと言われています。造営場所は平安京の南部で鴨川と接していました。規模は、東西約1.5㎞×南北約1㎞と言う広大なもので、池だけでも東西650m強×南北850m強あったと推定されています。さらにその池には、2~3個の島が浮かび、池を中心に、南殿、北殿、安楽寿院(住宅)、堂・塔などが配置されていたと言う事。それらを映し出した池面にまさに絢爛豪華な「浄土世界」を再現したのでしょう。ただし、鳥羽離宮は南北朝時代に焼失しています。

そこで本日の一口アドバイス。

「池に映し出した極楽浄土! それが浄土式庭園最大の演出!」

(りょう)

 

 

 

 

 

「鳥羽離宮 」の所在地を示した地図

 

 

 

 

 

 

 

「鳥羽離宮」の想像図

 

 

 

 

 

 

 

 

「鳥羽離宮公園」の案内図