りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,962

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・浄土式庭園「大乗院と円成寺」!

「浄土式庭園」について検証中です。ここ項では鳥羽離宮、平等院に続き、奈良の「旧大乗院庭園」と「円成寺庭園」を取り上げます。

「大乗院」(奈良市高畑町)は興福寺の門跡別院で1087年の創建とされています。ただし、12世紀の平重衡による焼き討ちなどで荒廃。15世紀中期に尋尊と言う僧が、銀閣寺の作庭を行った善阿弥父子を招き改造させたと伝えられています。従って、創建当初の「浄土式庭園」の面影がどの程度維持されたかは不明です。

また、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺になり、現在は庭園のみが残されています。「旧大乗院庭園」となっているのはこのため。ただし、池泉回遊式のこの庭園は南都随一と言う高い評価を受けており、国の名勝にも指定。全体構成としては東大池と西小池をメインとしたもので、池の比率が大きくこのあたりが「浄土式庭園」の特性とも言えます。

また奈良文化研究所による発掘調査も実施され、2000年に東西池中間の丘、2001年に滝・中島などの存在が明らかになりました。さらに、2010年にはそれらの復元工事が実施され、一般人も庭園の全体像を見学できるようになりました。また、名勝大乗院庭園文化館も造られ、様々な資料を目にすることも出来ます。

 

 

 

 

 

旧大乗院・東大池

 

 

 

 

 

 

旧大乗院・西小池

 

 

「円成寺」(えんじょうじ・奈良市忍辱山町)は真言宗御室派のお寺です。本尊は阿弥陀如来像で、仏師・運慶作と伝えられる国宝の大日如来像も所蔵されています。

同寺の起源は、756年、聖武・孝謙の両天皇勅願により、鑑真(唐招提寺)の弟子・虚瀧が開創したと伝えられています。ただし、鑑真の弟子で虚瀧の名は記録に無く、疑問も残ります。1026年に命禅が十一面観音をここの祀り命禅が再興したと伝わっています。従って、史実として辿れるのは、中興の祖・命禅までで、彼が実質的開祖と考えるのが妥当でしょう。

その後、1156年に京都・仁和寺の寛遍が東密忍辱山流(とうみつにんせんにくせんりゅう)を開き、多くの信者を集めます。この時に、十一面観音から現在の阿弥陀如来に本尊を代えたと言われており、「円成寺庭園」(国の名勝)の直接の起源もこの頃と考えるべきでしょう。また、大きな池、弥陀如来が本尊、1156年当時、と言った条件を考慮すると、やはり「浄土式庭園」であったと考えるのが妥当でしょう。

 

 

 

 

 

「円成寺庭園 」

 

 

 

 

 

 

円成寺:春日堂と白山堂(国宝)

 

 

そこで本日の一口アドバイス。

「奈良に残る浄土式庭園、旧大乗院&円成寺庭園が語るもの・・・」

(りょう)