りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,973

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・平安期以前の外構「東大寺」!

平安時代以前の仏教寺院外構について検証中。この項では奈良時代を代表するお寺「東大寺」を取り上げます。

「東大寺」は奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院。奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺院。僧・行基が尽力し完成に至った。など多くの有名なエピソードも伝わっています。また、奈良時代に各地方の代表として造られた寺院・国分寺の総元締めである「総国分寺」と言う位置づけを見ても、天皇家と仏教教団が結びつき創り上げた、文字通り最高峰の寺院であったと言えます。

華厳宗は南都六宗に1つである比較的古い宗派。ただ、壮大な宇宙観を持つのが特色で、「東大寺」の本尊も盧舎那仏であり、しかも巨大な大仏様であることは周知のとおり。おそらく、教義の中の世界を圧倒的スケールで再現し、誰もがひれ伏すような世界を創り上げたのでしょう。ただし、「東大寺」と大仏様は、その後度重なる災禍に合い、現存する施設ではその全貌を知ることは出来ません。ただ、全てではありませんが、災禍のたびに再現され、今日に至っている経緯を見ると、単なる権力の象徴ではなく、多くの人々の願いがそこに反映していた大寺院であったことは明らかです。

従って、奈良時代、あるいは最盛期の「東大寺」の全てを直接見ることは出来ません。ただ、多くの資料が残されており、絵図、模型、CG、等により、かなり正確にその姿を知ることは可能です。それらの入手可能な資料の一部を、下記に提示しておきますので、参照しながら「東大寺」伽藍の全貌、外構と言う視点からの同寺の構造について確認しておきます。

「東大寺伽藍」は中心となる金堂(大仏殿)とそれを囲む中門と南回廊(創建時には北回廊・北門もあった)。そして、同施設の東西には巨大な七重塔(東塔と西塔、各々70mの高さがあったと推定されている)があり、同寺の象徴となっていました。中門のさらに南側には南大門があり、同門をメインとして外周を屋根付きの土塀と多数の門で取り囲むと言う形式は、他の寺院伽藍と同じです。ただ、そのスケールがあまりにも大きかったと言う事。また、外周の塀と、金堂や七重塔を囲む回廊との間にも、多くの建造物がりました(伽藍配置地図参照)。

 

 

 

 

 

 

「東大寺」最盛期の伽藍配置図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創建当時の絵図

 

 

 

 

 

創建当時の伽藍模型(部分)

 

 

 

 

 

 

中門(金堂への正面入り口)

 

 

 

 

 

 

南大門:敷地内への正面入り口

 

 

そこで本日の一口アドバイス。

「総国分寺+巨大盧舎那仏。それが示す東大寺と言う寺院の位置づけ!」

(りょう)