りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,975

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・平安期以前の外構「薬師寺」!

平安時代以前の寺院伽藍・外構について検証中です。そして、この項では「唐招提寺」に続き「薬師寺」を取り上げます。

「薬師寺」は奈良市西ノ京にある南都の七大寺のひとつで、「興福寺」と同様法相宗の総本山となっています。当然寺歴も古く、天武天皇の発願により680年に飛鳥・藤原京に造営開始され、平城京が造られると共に、8世紀初めに現地へ移転しました。従って、現在の「薬師寺」は奈良時代前期~中期を代表する寺院と見てよいでしょう。

また、大寺ではありますが、「興福寺」「東大寺」などのように、全貌が掴みにくいほど巨大なものではなく、「唐招提寺」同様、奈良時代の寺院伽藍・外構がどのようなものであったかを把握するには、最適の対象物ともなっています。しかも、「唐招提寺」のように中心回廊が金堂前のみと言うスタイルではなく、金堂・東塔・西塔など主要な建造物を取り囲んでおり、よりオーソドックスな伽藍構成・外構と言ってもよいでしょう。

ただし、「薬師寺」も他の歴史的大寺と同様、何度も災禍にあっています。しかし、発掘調査も進んでおり、現地での創建当初の姿が次第に明らかになってきています。特に回廊の変化は大きく、当初は柱が2列+回廊一重と言う形状でしたが、途中で柱3列+2重回廊に変更され、現在のような形になったようです。そして、伽藍、回廊、外周等の基本構成は現在もおおむね維持されており、本尊の薬師三尊像など内部に安置されている作品も含め、極めて重要な歴史的建造物であることは言うまでもありません。

「薬師寺」の全体像は、現物、各種写真、歴史的資料(絵図等)、復元模型、伽藍配置図、等により掴むことが出来ます。それらを総合すると、中心伽藍は中央の金堂、東塔、西塔。この3つの建造物を取り囲む、中門と回廊から成り立っています。さらに、回廊の北側には講堂が接し、中心伽藍の外の北側の敷地には、東に教蔵、西に鐘楼があります。さらに、これらの建造物を、中門の南にある南大門を中心に、外周を囲む塀といくつかの門が取り囲んでいました。

 

 

 

 

薬師寺・金堂

 

 

 

 

 

薬師寺・伽藍模型

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薬師寺・伽藍図

 

 

 

 

 

薬師寺・回廊

 

 

 

 

 

薬師寺・金堂・西塔・東塔

 

そこで本日の一口アドバイス。

「奈良時代の典型的寺院伽藍+外構構成・・・それが薬師寺!」

(りょう)