りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,978

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・平安期以前の外構「平等院」!

平安時代の寺院伽藍・外構について検証中です。「東寺」「大覚寺」に続いて、この項では「平等院」を取り上げます。

「平等院」は平安時代と浄土式の代表的庭園として既に取り上げました。それだけ重要な建造物であると言う事です。ただし、「鳳凰堂」があまりにも有名で、逆に全体構造を知る人は意外に少ないと推定されます。そこで、今回のテーマは伽藍・外構ということもあり、その全体像がどのようなものであったかに迫ります。

「平等院」は京都府宇治市にある、藤原氏ゆかりの寺院です。というより、宇治には元々藤原氏の邸宅が多くあり、そこに一族平癒の願いを込めて建造されたのが「平等院」と言うべきでしょう。藤原道長が1027年に没し、その子関白・藤原頼道が道長の別荘「宇治殿」を1052年に寺院に造り替えたのが「平等院」であるからです。山号(正式名)は朝日山で、宗派は天台系でしたが、現在は無宗派単立の寺院となっています。開山は明尊。

伽藍構成は、当然のことながら「鳳凰堂」とそれに付随する「浄土式庭園」がメイン。ただし、「鳳凰堂」は阿弥陀如来を安置した、浄土空間の一環として造られたもので、本堂ではありません。従って、資料に基づき往時の姿を探ってみたいと思います(伽藍図参照)。

「鳳凰堂」以外には、本堂(宇治川近く)、「鳳凰堂」前に池を挟み東対岸に小御所、その他に法華堂(1056年創建)、多宝塔(1061年創建、遺構が検出)、五大堂(1066年創建)、不動堂(1073年創建)、経蔵、などが敷地内に在りました。そして、これらの建造物は、藤原氏一門の人々が次第に追加建造したもので、かなりの時間をかけて「平等院」の伽藍が完成したことが分かります。

また、ほぼ全体を土塀が取り囲んでいたと推定されますが、奈良時代や「東寺」の伽藍とは大きく様相が異なります。最大の相違は、伽藍内に本格的庭園が取り込まれている点で、「東寺」以前の伽藍構成~「大覚寺」の伽藍構成~「平等院」の伽藍構成の間に大きな変化が見られます。

 

 

 

 

伽藍図各部名称

 

 

 

 

 

 

 

平等院伽藍図①

 

 

 

 

 

 

 

 

平等院伽藍図②

 

 

 

 

 

 

表門と土塀

 

そこで本日の一口アドバイス。

「平等院が語るもの・・・浄土式庭園の出現が伽藍構成の激変に?」

(りょう)