りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,998

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・夢窓疎石の庭「恵林寺」!

引き続き「夢窓疎石」の庭を紹介します。この項で取り上げるのは「恵林寺」!

「恵林寺(えりんじ)」!

「恵林寺」は武田家の菩提寺としても有名(武田信玄の墓所でもある)ですが、1330年に「夢窓疎石」を開山(最初の住職)に招き創建された、臨済宗妙心寺派の寺院です。山梨県甲州市にあり、元は甲斐守護職・二階堂貞藤が所有する、笛吹川上流の別邸・牧荘。これを寄進し寺院としたものです。

その後災禍似合い消失しますが、徳川家康により再建。1905年に再度消失し、現在の建物等はそれ以降のものです。ただし、「夢窓疎石」が作庭した庭園は当時の姿を留めていると言われ、国の名勝にも指定されています。また、四脚門も桃山時代の建築様式を伝えているとされ、重要文化財に指定されています。

「夢窓疎石」が造ったとされる庭園は、本堂と書院を結ぶ前面に造られており、自然の地形を活かしながら、禅宗様式の庭に仕上げています。前面に池を配した池泉式庭園で、池の中央には中島があり、それを見事な臥竜の松が覆っています。中島自体は「疎石」時代と同じでしょうが、当時の景観はどのようなものであったのでしょうか。

「恵林寺庭園」は禅の思想が反映されたものであり、遺水部分の上流には雄瀧・雌瀧と呼ばれる2つの瀧組があります。さらにその上には須弥山と思われる石組みと三重塔が設置されています。おそらく、池~中島~遺水(水路)~雄・雌瀧~須弥山至る過程が、修業・悟りへの過程とリンクするような構成となっているのでしょう。そして、本堂・書院等から観る景観全体が禅の思想空間と一体となっている・・・「夢窓疎石」はその様な意志をもってこの庭を創り上げたと想定されます。

 

 

 

 

 

 

 

恵林寺航空写真(本堂右が「夢窓疎石」の庭)

 

 

 

 

 

 

本堂から観た庭園

 

 

 

 

 

中島と臥竜の松(奥に鎮守の鳥居)

 

 

 

 

 

遺水(雄・雌瀧の水流が合流)

 

 

 

 

 

雄瀧の瀧組

 

 

 

 

 

須弥山と三重塔

 

そこで本日の一口アドバイス。

「自然の地形+作庭による、臨済禅の空間再現・・・それが恵林寺庭園!」

(りょう)